今回は、「さいわい」稲荷神社というめでたい名前の神社についてです。東京タワー大神宮の時も少し書いていた幸稲荷神社の話になります。
東京タワー大神宮は高い場所のパワースポット!御朱印は個人参拝にも
東京タワーの近くにあって東京タワーの場所を管轄している神社なのですよね。
東京タワーを建てる時の地鎮祭の時から縁があったということでした。
その幸稲荷神社なのですが、知る人ぞ知るパワースポットではないかと思っています。
わざわざこの幸稲荷神社に車で立ち寄って、参拝だけして帰った人を見かけたからです。
その時、実際に見ていないと説明しにくいのですが、ただならぬ感じがありまして、おそらく、知る人ぞ知るの神社なのではないかと思ったのです。
都内でも古社として知られていたと聞きます。江戸初期の寛永年間に府内古社十三社に定められたくらいの神社です。
目次
氏子に幸いなことが多くて幸稲荷神社に名前が変わった
そもそも幸稲荷神社は、以前は違う名前の神社でした。武蔵国岸之村にあったので、岸之稲荷神社だったとか。
それが氏子たちの中に、幸いなことが続いたので、幸稲荷神社になったというまさに、ラッキーな神社です。
ブログ冒頭の鳥居のところにあった神社碑には、「幸稲荷神社」とともに「瘡護神社(かさもり)」となっていました。
瘡蓋(かさぶた)の字からもわかるように、瘡護神社は、おできとか、皮膚病から護ってくれる神社として知られていたようです。
瘡護神社は、昔からかなりの参拝者がいたようです。
幸稲荷神社の拝殿前にある提灯には、「幸神社」とだけ書かれていますが、神社の扁額をみてください。
幸神社と、瘡護神社と2つ掲げられています。
今でこそ、おできができて困っているということだけで、参拝する人は少なくなったでしょうが、医療も発達していなかった昔には、神様に頼ることしかできなかったのです。
それにしても扁額も提灯も幸稲荷神社ではなく、幸神社と書かれていますね。
熱病を治すと伝わる御祠礼石あり
ブログ記事冒頭の写真にもあるように「必勝合格祈願」の旗が鳥居のところに立っていたのは、境内社の「松野天満宮」と「茅野天満宮」という末社があるからでしょう。
参拝した時期が2月という入学試験が多く行われていた時期だったこともあるかもしれませんね。
「御祠石、影向石」と書いてあります。社宝だそうです。神社の宝となるくらいの石です。熱病もたちまち癒えると伝えられた石です。
みふくらいし、と読むそうです(御福良石とも書く)。
慶長年間から伝わる御祠石です。
幸稲荷神社のホームページによると、その由来は『増上寺観智国師夢に告あり、翌朝社頭に神拝の折、この石に腰を掛け誓約の事あり、この石に水を注ぎ心願する時はいかなる熱病もたちまち癒える』ということから来ています。
子どもの夜泣きが止むと、夜泣きにも効くとかで、霊験あらたかな感じがしてくる石ですね。
石の前にはバケツと水、柄杓がありました。
霊水を石にかけるようです。
初午の日は狐のお面が入った御朱印に
私が参拝した時は、幸稲荷神社と書いている御朱印のみ直書きになっていて、残りは書き置きを紙でいただくことになっていました。
初午だったので、いつもはもっとシンプルなのですが、狐のお面が入ったものになっている御朱印です。
私が参拝したのが遅めだったので、私はすべて紙でいただきました。
真ん中の「幸」の文字が大きく入った御朱印もシンプルですが、めだっていいですね。
最後の「三」にあたる御朱印が、瘡護神社のものです。
字が読める人が少ないのか、「かさもり」と書いてくれてありました。
その後、夏になってからも再訪しました。
瘡護神社は、おできや皮膚病など病気から護る神様ですから、コロナ退散ということでは、瘡護神社はご利益がありそうに感じますね。
そこで、今回は瘡護神社の御朱印に、アマビエ様の印が入るということで、再度、御朱印をいただきに行ってきました。
以前と比べて、夏の日差しですので、神社の写真もわかりやすくなったかと思います。冬のどんよりとした天気で撮ったものは暗くなってしまっていたと今更ながら思いました。
神社の鳥居の扁額は、神社碑と同じく「幸稲荷神社」になっているのがわかるかと思います。
提灯には、「幸神社」となって、「稲荷」の文字がありませんが。
調べてみると、幸稲荷神社の御祭神は、伊弉冉命と稲倉魂神となっていました。
伊弉諾命と伊弉冉命は夫婦神で、国土を作ったといわれることから、企業、土木関係者からの信仰を集めています。
稲倉魂命は、ご存知、お稲荷さんですから、五穀豊穣の神ですね。
萬延二年の改元直前の石柱と手水盥
萬延二年と書かれた手水舎にある手水盥の石です。
六月吉日と書いてあるのかな。
前回、2月に参拝した時とは、異なり、松野天満宮や茅野天満宮の提灯は掲げられていませんでした。
それよりも目に入ったのは、鳥居のような石柱です。
こちらにも、萬延の文字がありました。「萬延二年辛酉二月初午」と書かれた石柱です。
「萬延」という元号は短かったそうで、神社のホームページによると、特に、萬延二年は二月十九日で改元となったそうです。初午の頃は、まさに二月ですから、切り替わる直前のものといえますね。
この萬延二年の石柱のとなりにある欠けてしまっている石には、幸稲荷神社の神紋が彫られていますね。
稲穂ともう一種類は、三つ巴です。
松野天満宮と茅野天満宮の提灯はなかったですが、お社の下に、種類が違った石が置いてあることに気が付きました。
これは意味があるのでしょうか。
幸稲荷神社は、境内も狭く、こじんまりとした神社です。
でも、敷地の広さだけではないと感じました。きっと知る人ぞ知るの場所ではないかと。
東京タワーから見た幸稲荷神社
わかりにくいかもしれませんが、東京タワーから幸稲荷神社は、見ることができます。
芝学園と書かれたビルの後ろに茶色のビルがあります。
その左側にエメラルド色の屋根が見えますが、それが幸稲荷神社です。
このブログ記事、冒頭の写真でも鳥居の後ろのほうに茶色のビルが一緒に写っています。
角度を変えてみた写真です。
白いビルがすぐ隣にあるために神社の本殿が見えにくい状態ですが、茶色のビルの左側にエメラルド色の屋根がみえています。
東京タワーからみると、神社のすぐ裏手は、学校の運動場のようにみえます。
ここから見える幸稲荷神社は、小さいですが、氏子や崇敬する人たちに幸いごとが多いと名前を変えたくらいの神社です。
きっと知る人ぞ知るのパワースポットではないかと思うのですよね。