今回のブログ記事は、船橋大神宮です。
以前、蛇窪神社を紹介した時も正式名称は違うことを書きました。
この船橋大神宮も同じで、正式名称は、意富比神社です。
私はたまたま船橋で用事があり、ついでにどこか神社に立ち寄りたいなと思っていた時にこの神社を知りました。
だから前もっての予備知識ゼロで行ってみたのです。
しかし、行ってみたらびっくりです。これほどまで、広くていろいろある神社は珍しいです。
見どころ満載です。ですので、初詣に地元の人だけでなく(地元の人は初詣は外せないでしょう)、遠方から行っても見応えのある神社だと思いまして紹介します。写真も多めにしてあります。
なお、初詣の新年の御朱印は特別な御朱印になるそうで、置き書きになるようです。「手書きの御朱印は1月16日から授与」とのことが書いてありました。
それにしても、意富比神社(おおひじんじゃ)とは、漢字を読めませんでした。
灯明台があったり、水神祭りがあったりと何かと海に関係がある神社とのことで、今では想像もつかないのですが、船橋の海近くにこの意富比神社がありました。船橋の海は漁業が盛んで、海上交通の拠点でもあったとのこと。海の安全と豊漁の願いが込められたお祭りが4月にあるそうです。
今回のブログ記事は、社務所でいただいた「船橋大神宮」のパンフレットから引用させていただいている部分が多いです。
目次
灯明台もある船橋大神宮
意富比神社は、天照皇大御神をお祀りする神社です。平安時代の延喜式にも載っている「式内社」です。船橋地区では、最大にして、最古の神社です。
ただし、慶応四年の時の戊辰戦争で旧幕府軍の拠点となったために本殿、拝殿、摂社、末社と全焼してしまったとのこと。
明治時代に本殿、拝殿を再建して、徐々に造営されていきました。
平成22年には御鎮座1900年を迎えたとのことですから、相当古くからの神社です。
見たらそれはすぐにわかります。広いし、いろんな見どころ満載です。
意富比神社の意富比については、諸説あるようです。
のちほど、写真を出しますが、境内にある灯明台は明治13年(1880)に完成した建物だそうです。
古くからあるのですね。和洋折衷の建物だというのも面白い。今の残っている中では、国内最大級の民間灯台といわれているそうなので、保存につとめていただきたいですね。
私が行ったのは、緑が深い5月の頃でした。参道の松も美しいです。歴史ある神社だとすぐにわかりますね。
5月は特に何もお祭りのない時期だったようで、6月には摂社の常磐神社例祭があるとのことでした。
この先に駐車場があるのですが、冒頭の写真でも看板が掲げられていましたが、大晦日と三が日は、車が船橋大神宮内に進入できないそうです。それ以外の時は駐車できるのかな。
例大祭は10月20日で相撲もある
長い参道を歩いて行くと、途中に土俵まで見えてきました。その脇にも鳥居がみえますね。
例大祭には、奉納相撲も行われるとか。
徳川家康公が船橋に宿泊した時に、子どもたちの相撲を見たのがはじまりだそうです。
そういえば以前の渋谷氷川神社にも相撲場がありました。神社と相撲場は相性がいいのかしら?
それにしても例大祭だけでなく、これだけ境内社があると毎月のように何かしらお祭りがありますよね。しかし、10月20日の例大祭が船橋大神宮として一番のお祭りになります。
7月には、浅間神社例祭、八雲神社例祭、八坂神社例祭、八剱神社例祭もあるそうです。
日本観光振興協会のサイトによると、八剱神社の説明に「明治41年(1908)に意富比神社(船橋大神宮)境内の金毘羅神社に合祀されました。祭礼は3年に一度行われる例大祭とその間の2年間に行われる陰祭(かげまつり)、陰祭では神輿渡御は行われず、式典だけが行われます」との記載がありました。
八剱神社は漁業の町、湊町のお祭りです。3年に1度の例大祭は特に盛大です。
八坂神社については船橋駅周辺の市の中心本町のお神輿がでる例祭となります。
市民まつりと合わせて7月に行われるとのこと。
御朱印の受付時間は午前9時から午後4時まで
さて長い参道を歩きまして、拝殿に到着です。格式高い拝殿前ですね。
柱の古さも歴史を語るようです。これは、初詣には人がいっぱい集まりそうですね。
どことなく、伊勢神宮のような感じがしてきます。今、気がついたのですが、屋根の近くに金色の千社札のように見えるものがありますね。
そういえば、意富比神社には「井戸」があるらしく、私は見つけそこなったのですが、ご神水として持ち帰り可能となっていました。しかし、最近の水質検査で、5分以上の煮沸が必要との結果が出たそうで、生水を飲むタイプのお水取りをする人は、気をつけたほうがいいですね。
流派によっては、煮沸してもいいというところもあるので、そちらの場合は、煮沸してからとなるでしょう。庭に水をまく程度のことだったら問題ないでしょうけどね。
拝殿の奥には本殿があります。
参拝しましたら、御朱印をいただきました。
意富比神社の御朱印帳は、灯明台が表に描かれ、裏には二代安藤広重の文字が書かれています。御朱印帳には、「船橋大神宮」の文字が刺繍で入っていました。
筆書きは正式名称の意富比神社の名前で御朱印帳に書かれていました。しかし、印のほうが下総国船橋社務所印と、もう一つ意富比大神宮の印もありまして、「船橋」の名称は使っているようです。
ここの船橋大神宮は、御朱印だけで終わりにするのは、もったいない神社です。できれば時間を長めに取って、境内を散策することをおすすめします。
神輿庫の周りにも小さな神社
拝殿向かって左手には、神輿庫(しんよこ)が見えます。お神輿ある場所です。
「向かって左に本町八坂神社の神輿で右に湊町八剱神社の神輿」とのこと。
7月のお祭りは、ここの大神輿が出されます。お祭りの日は、出御、渡御が行われます。
さらに本殿裏手に向かって歩いていきます。
本殿の裏手には、このような石碑がありました。最初の漢字が読めないのですが、○田比古神社と書いてありますね。
そのとなりには、水神神社とか書いてあります。
さらに奥に進んでみました。
船橋大神宮には船の先がデザインされた船玉神社
さらに奥にすすむと意外なデザインの神社がありました。
この斬新なデザインだと思ったのが、船橋大神宮内の末社、船玉神社です。船の舳先(へさき)をモチーフにしてあります。
船橋というだけあって、漁業の安全を祈願する神社です。昔は、船橋大神宮が海上からの目印にされていたそうです。
これはステキなアイディアですよね。
もともとは、船魂を祀っていたといわれています。こちらは、例祭が12月にあるそうです。
意富比神社(大鳥神社)も月遅れの酉の市
摂社の大鳥神社です。
船橋のお酉さまは、こちらの神社の例祭です。酉の市の日だけは、夜まで御扉が開かれ、参拝できるそうです。
埼玉県は酉の市が月遅れの12月に行いますが、こちら千葉県も同じようで、船橋大神宮での酉の市は、12月に行うそうです。
船橋大神宮では、熊手についても説明があって、神社で配っている小さな熊手は個人が買って、屋台の大きな熊手は商売をしている人、会社が買っていると書いてありました。
私の感覚と同じですね。
個人が気軽に買うのは、神社の小さな熊手のほうです。もちろん、屋台の大きな熊手を買ってもいいのですが、これは続けて買うことに意味がありそうですからね。
商売が大きくなっていくごとに、熊手も合わせて大きくしていくのが買い方です。
酉の市は、夜が本番ですよね。
船橋大神宮では屋台は夜10時くらいまで、神社は夜9時くらいまで開いているようです。
2019年の酉の市は、12月2日と、12月14日です。12月14日が二の酉ですね。
令和元年の場合「二ノ酉の19時より、神楽殿にて神楽の奉納が行わ」れるとの記載がありました。
神楽は、お正月は1日と3日(新年祈祷祭)、節分、そしてこの二の酉の時の計4回のみ執り行われるそうです。
古代神話を元にした神楽枚の系統で、伝承の神楽の演目は10座あるそうですが、節分の神楽は、最後の鬼が登場するそうですよ。
常磐神社は美しい社殿
歩いているうちに、あれ、キレイな色だなと目に止まったのが、こちらの常磐神社です。
大和武尊とともに、徳川家康公、徳川秀忠公が祀られているそうです。
それにしてもキレイな彩色ですね。徳川家康公四百年祭りを迎えるにあたって、新しくしたそうです。
6月1日の例祭、正月三が日には、唐門内での参拝が可能ですって。私は遠いですが、ここから参拝です。
ここだけ、やけに真新しい感じがしますからすぐにわかるでしょう。
社殿には、12体の獅子の木鼻があり、山門には、二体の龍の木鼻があります。
写真でみると、ひとつは龍の口が開いていて、一つは閉じているように見えますね。
常磐神社は、古くは江戸時代には意富比神社と並び称され、関東一宮両神社として知られていたそうです。
さらに境内を歩いていきます。立派な摂社が見えてきました。
天之御柱宮から外宮に向かって写真を撮りました。
天之御柱宮と豊受姫神社の間は区切られていました。
天之御柱宮は護国の英霊が祀られています。
豊受姫神社の隣は、八雲神社で、八雲神社がかなりキレイになっていたところをみると、立て直しされたのでしょうか。
豊受姫神社(外宮)には、歯固めの石あり
外宮と書かれているだけあって、御祭神は豊受大神だそうです。例祭は、意富比神社の例大祭の前日だそうで、忙しいですね。
天照大御神のお食事を司る神社だけあって、衣食住の守り神です。
外宮に入って、左側に何やら桶のようなものが見えました。
近づいてみると、歯固めの石が入っていました。
赤ちゃんのお食い初めに使う石です。所沢神社でも見たものです。
船橋大神宮の歯固めの石は、けっこうワイルドな感じがします。
歯固めの石をよく洗って、その石に箸をちょんちょんと触ってから、その箸先を赤ちゃんの歯茎につけます。
石ではなく、箸先を歯茎に当てますよ。そのことで、石のような丈夫な歯が生えますようにと願いをこめます。
とはいえ、地方によってルールが違うそうなので、その地にあったやり方がベストです。
使い終わったら、石を洗ってまた次のご家庭へと戻します。
神社に置いてある神聖な石です。お食い初めの儀式にぴったりです。
もう一度、外宮を真正面から写真を取ってみました。
外宮というと、どうしても伊勢神宮を思い出しますね。
八雲神社が新築っぽい感じなので、きれいなのですが、対比され古風な感じにみえます。
八雲神社の御祭神は須佐之男命と書いてあったのですが、これはスサノオノミコトですね。
稲田姫命もお祀りされているということなので、縁結びの神様でしょうか?
船橋大神宮の灯明台は年に一回灯される
千葉県指定有形民俗文化財となっている灯明台です。高さは12メートルあります。三階が六角形で洋風になっています。
今ではあまり、海のイメージがないですが、幕末ころまでは「夜、船橋沿岸を航行する船は、意富比神社境内にあった常夜灯が夜の航海の頼りだった」のだそうです。その後、明治13年に地元の漁業関係者によって建てられて、港の灯台みたいな役割だったようです。
神社の南一の鳥居近くまで海だったといいますから、埋め立て前の様子が知りたかったですね。
先程の船玉神社といい、漁民の信仰となっていた神社だったのですね。海上安全を祈願するのもわかります。
灯明もそうですが、下の建物がかなり古そうです。歴史を物語ります。
常磐神社や大鳥神社のほうから歩いて写真を撮ってから、角度を変えて石碑のほうからも写真を撮ってみました。
慰霊碑前からも写真を撮りました。
千葉県のホームページによると、
慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に、この常夜灯は社殿とともに焼失してしまった。そのため、再建を望む声が高まり、明治13年(1880)、地元の有志の寄付金によって境内の標高12mの小高い丘の上に建てられたのがこの灯明台である。かつては「浅間山灯明台」と呼ばれた。
明治13年の完成から、明治28年10月31日付官報に廃止が告示されるまで政府公認の私設灯台として、活躍した。高さは約12mで木造瓦葺の3階建。1、2階の管理人の宿舎は和風建築、3階の灯室は洋式灯台のデザインをとり入れた六角形の部屋で、和洋折衷のつくりになっている。日本で初めて石油ランプ(3基)、錫製の反射鏡(3基)を設置した灯台で、灯りの到達距離は約6マイル(9.7km)であった。レンズこそ備えてはいなかったものの、当時としては最新式の設備である。
日本の洋式灯台は、明治2年の観音崎灯台をはじめ、多くは官営で新設されたが、この灯台は民間の信仰による灯明が、洋式灯台に発展した数少ない例です。現存の灯明台としては最大規模で、昭和40年に、一度解体修理されている。
灯明台という明治時代の呼称がそのまま残っている点も注目されている。
参考:千葉県のホームページ
千葉県指定有形民俗文化財だけでなく「景観重要建造物」にも指定されているのだとか。
船橋市のサイトによると、
平成28年4月1日付けで、地域の景観上特に重要な建造物である「景観重要建造物」に意富比神社(船橋大神宮)の灯明台が指定されました
参考:船橋市のサイト
常夜灯が消失して新たに、作られたのがこの灯明台、すなわち、灯台です。
確かに、地域の景観上に重要な建造物ですよね。灯台ですもの。
和洋折衷のデザインも当時は目新しさがあったのでしょう。先頭の三階が洋式灯台のデザインですが、下のほうが和風ですものね。
洋式灯台は、観音崎灯台もそうなのですね。走水神社に行った時に遠くに見たことがありますが、神社がメインで横須賀市に行っていたためあまり記憶に残っていません。
そこで見ていたら、比較もできたのにと、残念です。
1月中旬には、灯明台祭りも行われるそうです。点灯式となるお祭りだそうです。
年に一回だけ点灯されるのは、新成人をお祝いしてとのこと。新成人が点灯のスイッチを入れるのだとか。
年に一回だけとなると、見に行きたくなりますね。遠くからも灯台の明かりが見えるのかな。
普段は、非公開とのことですが、正月三が日に限って公開されているそうです。
そうなりますと、点灯される灯明台祭りのときは、灯されるのを遠くから見るだけ、ということになりますね。