今回のブログは、二十日戎の日に浅草の浅草神社に行ってきた時の話です。
浅草には、家からは遠いのですが、毎月のように参拝していたのです。
しかし、浅草神社は一度御朱印をいただいたきりになっていました。
そうしたら、ここ数年、浅草神社は御朱印で人気があるというではないですか。
それで今回は御朱印目当てに行ってみました。
目次
二十日戎が始まっていた浅草神社に福笹あり
浅草神社では正式には二十日戎を行っていませんでした。
私が以前行ったときは、笹だけ買った覚えがあります。
それもすでに笹に縁起物がついていました。
今回は、正式に二十日戎となったようで、縁起物も別途好きなものを購入できるようになっていました。
吉兆と言われるものですね。
賽子、小判、米俵、末広、枡、鯛、小槌、瓢箪などひとつが500円です。
ひとつつけるごとに500円で、福笹が1000円ですから、あっという間に、2000円、3,000円くらいいってしまいますね。
まずは福笹を買います。
これに吉兆をつけていきます。
最初の福笹には、御神札、五色や金短冊、そして福鈴がついています。
それにプラスするのですね。
それぞれの吉兆には意味がありました。枡なら蓄財と書いてありますね。
末広は子孫繁栄、米俵は五穀豊穣、小判は金運、賽子は勝運、瓢箪は無病息災、鯛は豊漁、小槌が心願成就のようにです。
全付けといって縁起物を全部つけたものもありまして、そちらは、福笹に8種類の吉兆がついて5,000円となっていました。巫女さんの福姫につけてもらいます。
私は、以前に福笹を買ったことがあったので、今回は、恵比寿様の御神影札を買いました。
今年の恵方は、西南西だそうです。
浅草のえびす様は、1月19日が宵戎で、1月20日が本戎です。
えびす様は、恵比寿(須)や戎とも書かれます。
いただいたリーフレットには、「古来より日本全国で、商売繁盛・家内安全のご利益がある神様として崇められています」と書いてありました。
浅草神社にあったえびす社
拝殿前には、豊洲市場の鈴与さんの奉納である、大きなマグロが置いてありました。
私も今回はじめて知ったのですが、明治以降、浅草神社の、現在の槐の木の辺りに「えびす社」が摂社として建立され、えびす様がお祀りされていたそうです。
ただし、今は、それがありません。
東京大空襲で焼けてしまったとのこと。
東京は、この東京大空襲で焼けてしまったお寺や神社が数多くあります。
しかし、社は焼けてしまっても、えびす様の御神体は浅草神社の社殿に移されたそうです。
今でもお正月には、浅草名所七福神で、えびす様として浅草神社はあります。
このえびす様、元々、江戸時代は浅草寺境内に西宮えびすとして祀られていたそうで、それが神仏分離令で浅草神社のほうに遷座してきたと言われています。
福男で知られる西宮神社と縁が深かったそうです。
商売繁盛、豊漁を祈願するまぐろも奉納
招福まぐろさそうです。
お金を置いてまぐろに付けておくと、「お金が身に付く」のだとか。
桧前浜成命
主祭神の檜前浜成命(ひのくまはまなり)と、檜前武成命(ひのくまたけなり)と書かれた札もありました。
神社の名前を書いた額は拝殿すぐのところにあるのが多いのですが、浅草神社は、かなり奥のほうにありました。
浅草神社のと槐の木
こちらが先ほど書いた「槐の木」です。
ここの近くにえびす社があったのですね。
檜前浜成と武成の兄弟によって隅田川で流れてきた観音様の引き上げたの浅草寺と浅草神社の始まりですよね。
観音様をもっていた土師中知る
その観音様を槐の木の切り株に安置していたのですね。
その観音様に帰依してお堂を作ったのが浅草寺の始まりです。
観音示現の功労者としてこの三人が神様になって、三人の神様ということで、三社祭なのです。
その時から、槐の木と縁が深くて、神社の境内にも自生したというそうなのです。
さらに不思議なことに、枯れては生え、枯れては生えと連綿として絶えることがないのだとか。
5年前より御朱印を待つ人も増え
今は御朱印は、紙でのお渡しになっていますが、私が二十日戎に行った時は、御朱印を御朱印帳に貼っていただくようになっていました。
御朱印を割り印のようにしていただくのです。
そのため、ひとりひとり手作業になります。
番号札をいただいて、待つというシステムでした。
私が以前、5年位前でしょうか、はじめて御朱印をいただいた時は、浅草神社のような人が多く参拝する神社でも少し待てば直に書いていただけるようになっていました。
御朱印はしばらくいただいていなかったのですが、知らない間に御朱印を待つ人数もこれほど多くなっていたとは。
このように御朱印の下の脇のほうに浅草神社の印があって、割り印のようになっていました。
これなら、御朱印帳ごとでしか転売もできない、というわけです。
私が御朱印をいただくようになってから、しばらくたつまで、転売する人なんていなかったのに。
夫婦狛犬で良縁祈願、恋愛成就を
浅草神社の神社名が書いた石碑に向かってすぐ右手に夫婦の狛犬がいます。
それが恋愛成就、良縁、夫婦和合の願いを込めてお祀りしてある狛犬です。
台座には「諸願成就」となっているそうなのですが、今は良縁祈願です。
夫婦だからでしょうね。
彫りも浅いと書かれています。
夫婦なのでしょうかね。表情を見ているだけでもかわいい狛犬です。
首は曲げずに正面を見ています。頭には、はめ込み型の角があったそうなのですが今は残念ながら残っていないとのこと。
本来なら狛犬は、一対としてありますが、この狛犬は寄り添っています。
互いに寄り添いあう狛犬に相合い傘をさして良縁祈願、恋愛成就、そして夫婦和合を祈願とのことです。
七夕の時に行った
1月から半年後の七夕祭りの時に再度参拝しました。
いつの間にか、御神田に稲も植えられていましたよ。
緑も濃くなっていますね。
蓮の向こう側に槐の木がありました。
七夕だったので、境内には天の川をイメージできるような小石の川ができていました。
ところどころロウソクのようなものも置かれていまして、夜暗くなってからが楽しみな感じでした。
浅草寺に続く道には、風鈴が飾ってありました。
拝殿前には、願いを書いた短冊をつける笹が用意されていました。
「夏越しの大祓、茅の輪くぐり、井戸洗い神事」「裏観音詣り、富士講」と書いてある短冊です。
こちらには、「夏詣縁日・茶屋、和事体験、流しそうめん」と書いてあってカラフルな絵も描かれていました。
夏越の大祓で使う茅の輪も残って
色が枯れた色になってしまっていますが、拝殿前には、茅の輪くぐりの茅の輪が残っていました。
七夕の頃まで残しておくのですね。
重要文化財の立て札のところに、浅草神社(三社様)となっていました。
私が行った時は、夏詣の御朱印と、七夕の御朱印がありました。
そのほかにもえびす様の御朱印もありました。
それと以前にもいただいたことがある隣にある被官稲荷の御朱印も夏バージョンになっていました。
いつものお稲荷さん、狐さんが、麦わら帽子をかぶっていました。
以前の狐さんと違うので、今回、被官稲荷の御朱印もいただきました。
ただし、今回は、紙のみの頒布となっていました。
七夕の日だったためか、鳥居のところにも笹が添えられていましたよ。
浅草神社の境内は、浅草寺に比べると狭いのですが、参拝する人は次々に訪れていました。