ここ数回、稲荷神社の記事が続いていました。

そう言えば、両国駅のあたりを回った時も稲荷神社があったなと思い出しましたので、今日は稲荷神社も兼ねてご紹介です。

墨田区千歳にある江島杉山神社とその境内にある杉多稲荷神社です。

江島といい、杉山といい、なんだか誰かの名字みたいな神社だなと思っていました。

 

江島杉山神社と鍼灸のつながり



その杉山とは、やはり人の名前から来ていました。

 

杉山和一(杉山検校)という人が、若い頃に失明したのですが、弁財天様で知られる江ノ島の岩屋で断食祈願して、信心が弁財天様に通じ、弁財天様より鍼灸を学ぶヒントを得たということです(管にハリを入れて打つ方法)。

 

その後、鍼灸に研鑽して、五代将軍綱吉にも鍼を打つまでになったそうです。そこで将軍綱吉より本所一つ目に総禄屋敷を建てる土地をいただき、そこに屋敷を建て、いつも江ノ島の弁財天様にお詣りできるようにと、その隣に弁財天様を祀るお社を作ったのが始まりとのことです。

江島は、江ノ島から来ているのでしょうね。

江島杉山神社のサイトをみると、「本所一ツ目弁才天」という言葉が出てきます。

江ノ島弁財天と、杉山和一総検校をお祀りする神社となっていました。

こちらの江島杉山神社は「えじま」と読むようですが、そもそも江ノ島から弁財天様を勧請しているのですから、「えのしま」と呼んでも良さそうですね。

御祭神は、市杵島比売命(藤沢市の江島神社の弁財天)と杉山和一総検校になります。


毎週金曜日は杉山記念館に合わせて休みとなる御朱印の授与所

お稲荷さんのお社については、実は杉山和一検校が綱吉公から本所一ツ目の土地を賜わった時より前からここに鎮座していた稲荷社だったそうです。

今は杉山稲荷神社となっています。

本殿に向かって右側にあるお社です。少し小さめで、赤い鳥居が立っています。

 

二月と三月に限定御朱印が出ます。

稲荷神社ですから、御朱印には稲穂と白狐です。

二月、三月なら江島杉山神社の御朱印と一緒にいただくといいですね。

私は参拝した時が夕方の時間になったので、両方とも書き置きでいいです、としました。

江島杉山神社の直書きは、土日月火曜日のみと書いてありました。

初音森神社については、また後ほど。

 


杉多稲荷神社は江島杉山神社のすぐ右隣

杉多稲荷神社は、このように小さめなので見過ごしてしまうかもしれませんね。

しかし、稲荷神社特有の赤い鳥居が立っていますので、それを目印にするといいでしょう。

検校がここに建てられるより前からある、とのことなので、こちらのほうが古い神社になりますね。

古い神社だからか、「杉多」の名前の由来はわからないそうです。


弁財天様と言ったら水が関係するので池のそばにある祠

江島杉山神社の境内には、池があります。

「い巳やみち」と書いているようにみえる(巳)のですが、「いわやみち」と読むそうです。

宇賀神像が祀られているので、頭に巳を乗せていることにちなんで巳なのかなと思った次第です。

「寛政八丙辰歳」に建てられた石碑のようです。

橋のようなところを通って岩穴に入っていきます。

洞窟のようなところです。

なぜ洞窟なのかというと、江ノ島で杉山和一が弁財天様に断食祈願した場所が岩窟だったからです。

それを模して造られています。

 



私は残念ながら、江ノ島は遠くからみただけで島の中を見たことがないのでよくわかりませんが、このような岩屋があるのでしょうか。

 

寛政5年にこの洞窟を補修した記録が残っているそうです。

「いわやみち」の石碑が寛政8年ですから、その頃より前にここの岩窟はあったということでしょう。

岩窟の中には、杉山和一検校像がありました。

 


真ん中に宇賀神です。石像がヘビのような形に見えます。

 



ここの岩窟には、小さな白蛇をお供えすることができるようになっていました。

弁財天さまのお使いといったら、ヘビですからね。

 



そのほか、宗像三姉妹像が祀られています。

右が多紀理毘売命(タキリビメ)、真ん中が市寸嶋比売命(イキシマヒメ)、左が多岐都比売命(タギツヒメ)です。

宗像三姉妹というか、弁財天様の説明がありました。それによると、

「弁財天が主尊として祀られるようになったのは、平安時代頃からと推定され、本地垂迹説による神仏混淆で日本古来の神と習合してからのようである。本来、宇宙神ではなく、水と土地の神という観念が強いから民衆との繋がりは深く希いを託し、易い存在の神として人気がある。特に、農業神、海上神、施福、学問、音楽、弁舌等に霊験あり、また、土地の鎮主とし地主神として祀られている」

女性の神様の代表ですね。



宇賀神や弁財天というと、「銭洗」が関係することが多いですね。

こちらの江島杉山神社でも「銭洗」、「美玉洗」がありました。

水みくじを売っていて、それを「美玉洗」の水に浮かべます。

それが占いになるそうです。最近、よく見かける水に浮かぶと字がみえる占いでしょう。

それとは別に、美玉石というものも売っていて、美玉石を、美玉洗で洗うようになっていました。

顔のみならず心も美しくなるように、という願いを込めて洗うということです。

 



弁天池のまわりには、銭洗弁財天の像がありました。琵琶をもっていますね。

音楽の神様でもありますから。

そう言えば、江島杉山神社では、巳の日に、巳成金のお守りを授与しているそうですよ。

 


このほか、江島杉山神社には、力石があって、墨田区内では一番重い石なのだそうです。

私は来るときは江島杉山神社の脇の弁天池のほうから入ったので、こちらは帰りに通りました。

こちらが表参道になります。

 


初音森神社の儀式殿はビルの中へと

江島杉山神社のところに、丁寧に初音森神社儀式殿への行き方の説明があるのでわかるかと思いますが、江島杉山神社からはゆっくり歩いて15分くらいの場所にあります。

浅草橋駅近くの両国郵便局の裏手にありました。

こちらが初音森神社です。ビルのところにあるので、一瞬、あれっと思うかもしれませんね。

しかし、こちらにもお詣りしておくといいですよ。特に、初午の時にこちらでも御朱印をいただくと、紅白でおそろいの御朱印になりますよ。

杉多稲荷神社が白で、こちらの初音森神社が赤の紙で、同じような白狐があるので、向かい合うようになります。

初音森神社の本社は江島杉山神社の近くになります。私も行こうと思っていたのに、そちらに行くのを忘れて儀式殿のほうに来てしまいました。

本社のほうも(跡地?)グーグルマップには載っていたので、わかるかと思います。西光寺というところから、近くにあったということまでは見ていたのですが。

江島杉山神社からは川から離れるところになります。



ビルの入り口にも、赤い鳥居と小さな祠があるので、上まで登らなくてもお詣りすることはできました。

しかし、階段の上はどうなっているのか知りたくて登ってみることにしました。

江島杉山神社の神主さんは、こちらの初音森神社も兼務しているそうです。

それで江島杉山神社のほうに道案内が書いてあったのです。


初音森神社の御朱印は儀式殿にて

ビルのところに「初音森神社」となっています。真正面から右手に拝殿があります。

すぐに拝殿となっていて、お賽銭箱がありました。

お賽銭箱のすぐ脇に、机があって、そこに御朱印が置いてありました。

料金はお賽銭箱にいれるようでした。

江島杉山神社には書き置きは無く、こちらの儀式殿にて頒布となっていました。



岩のようなものがあります。階段を登った目の前は、真正面に赤い鳥居があるのですが、その先は現在、工事中、といった感じになっていました。

これからもっときれいにしていくのでしょう。

江島杉山神社のような岩窟を作るのでしょうか?

兼務社ですが、本社ではなくこちらの儀式殿に立ち寄ることが多いそうです。

初音森神社といいますが、稲荷神社ですね。昔は初午の時には馬追いのお祭りもあったそうです。


儀式殿は初音森神社が元あった付近に本社は江島杉山神社の近くに

お詣りを済ませて、そこに置いてあった御朱印の代金を支払いまして、帰りました。

帰る時に、目の前に初音森神社の由来が書いてあることに気が付きました。下のほうには、馬の置物です。

初音森神社の創建は元弘年間(1330年頃)で文明年間に太田道灌によって大社殿が造営されたとのこと。豊受比売命(宇迦之魂神=稲荷神と同一視)を祭神にしています。

当時は、初音之里と呼ばれる場所、奥州街道沿いにあったそうです。すなわち馬喰町靖国通り交差点のあたりが初音之森だったようです。それで初音森神社と名づけられたようですね。付近の産土神として信仰を集めたようです。

馬場があったから、馬喰町という名前にもなったくらいですから、初音森も、馬場も有名だったみたいですね。

馬喰町といい、馬喰横山駅という駅の名前にもなっているくらいです。

天文10年に、初音森神社の神社前に馬場が作られたそうで、馬場があったから馬の置物なのかなと思いました。

徳川幕府の入府後、この付近が見附番所建設となり境内地の半分が削られたそうです。そう言えば、ここの近くに江戸城浅草見附跡という場所がありました。

さらには明暦3年の大火の後、神社を守るお寺の別当寺も郡代屋敷建設のため、本社がある今の墨田区千歳に移ったのです。

昭和23年に今のこの地に神社を建立して、神殿及び儀式殿としたそうです。

 



ビルの下からみると、このような光景です。

二階に拝殿があります。

下からも「初音森神社」の文字は見えました。

兼務社ということは、初音森神社を守る人がいなくなってしまったということでしょうね。

有名な神社だったのですが、時代に翻弄され、場所も移ったりしているという神社でした。