月日が立つのは早いもので、先に夢鈴の奉納のことを書いて後ほど、夜間特別参拝のことを書こうと思っていたら、その時はまだまだ先のことと思っていたのに、秋の夜間特別参拝の日が来てしまいました。

私がまだブログに書いていないうちに、です。

夜間特別参拝にも行ってきましたので、その時のことを書きたいと思います。

私が御朱印を初めていただいたのが、明治神宮でした。御朱印帳も明治神宮で初めていただきました。

今はこの鎮座100年記念で、いつもの御朱印帳とは違う薄紫色の御朱印帳を出しています。

たぶん期間限定だったかと。

私の御朱印の原点でもあるので、今回も御朱印帳をいただきまして、御朱印歴を振り返りました。

 

天皇誕生日に明治神宮へ参拝し夢鈴奉納


一時は、爆発的ブームになった清正の井戸です。

私が初めて御朱印をいただいた頃は、まだそれほどでもなくて、知る人ぞ知るの存在でした。

私はその時、初めて清正の井戸に行ってきました。

確かにパワースポットだと感じました。

ただ、清正の井戸が、というよりは、この森自体がすでにそのような感じを受けました。

今、改めて明治神宮に行ってみますと、清正井に行く人はほとんどいなかったように感じました。

あの時のブームはいずこに?

 

今ならパワースポットの清正井(きよまさのいど)へ

2月の天皇誕生日だったからでしょうか。清正井に行く人よりは、明治神宮の参拝目的で来ている人のほうが多かったように思います。

一時は3時間待ちとか、4時間待ちとか言われてました。

テレビの影響は大きいですね。

清正の井戸を写真に撮って、その写真を待ち受けにすると、仕事が絶えなくなるとか、金運アップだとか、いろいろと言われてました。

 

それくらい待っていた時期は、おそらく写真を撮って終わり、だったのではないでしょうか。

私は、それくらい行列必至の時は行っていませんので、わかりませんが。

私が初めて行った時は、パワースポットを信じるような人たちが、ゆっくりその場に佇む感じでした。

じっくり空気を吸うような感じです。

今なら、パワースポット独り占めできるのではないかな。

 

夢鈴という短冊を奉納

『夢鈴』短冊奉納です。

桧の香りがする短冊に願いなどを記入します。

中央部分に日付を書いて、切り取り線から左側に願いを書いて納め箱に奉納します。

右側は家に持ち帰ります。

この右側がちょうど書き置きの御朱印くらいの大きさなので、まるで御朱印、それも鎮座百年の特別御朱印のような感じに見えるので、御朱印集めをしている人も奉納したのです。

私も結局、御朱印帳に貼りました。他に置いておくと、紛失する心配があったからです。

 

明治神宮鎮座百年祭は令和2年11月1日に

神門にも書いてありますが、私が行った頃は2月でしたが、明治神宮鎮座百年祭は11月1日に行われることがわかりました。

 

そしてそれを記念して夜間特別参拝ができることを知りました。

10月30日、31日、11月1日です。

その場で、手帳に11月1日は明治神宮鎮座百年祭と書き込み、まだまだ先だと思っていました。

先のこととは思いながらも、夜間に参拝したいなと思っていました。

明治神宮の夜間参拝は、大晦日しか行ったことがなかったからです。

 


明治神宮拝殿近くの御神木です。

2月の時点では、まだコロナのことも深刻に考えられていなかったように感じます。

私はマスクをして行きましたが、外国人旅行者の姿もみえ、今のような人と人の距離を取るということもなかったように記憶しています。

密室ではなく屋外ですから、余計にそうなりますね。

 

門にあるハートの図形

明治神宮では、ハートの図形を見つけると幸せになれるとか。

これもパワースポットのひとつ、ということでしょうか。

ちなみにこの写真に、ハートが見えます。

どこかわかりますか。

神門の扉についた金具です。

ひとつは、花びらのようになっているところに穴が開いたようになっていて、それがハートの形に見えます。

もうひとつは、金具がL字型になっていますが、その穴もハートの形になっています。

 

奉祝献灯『夢鈴』(ゆめりん)

 


私はつい最近まで、この夢鈴の見本のことをすっかり忘れていました。

実際に暗いところで見ると印象も違います。

秋の夢鈴あかり行事に、是非ご参加くださいと書いてあったのです。

奉納した短冊は、このあかりを灯した下にかかっていました。

ここにも「夜間特別参拝」のことが書いてありました。

ここにあるように、10月30日から11月1日まで夜間特別参拝が行われました。

そして、11月1日には、花火も打ち上げられたのです。

 


この奉納は、南神門の外に出て、第三鳥居の横で受付がされていました。

呼び込みがあったので、すぐにわかりましたが、正参道ではなく別の門から来た人はそちらへ行く感じになります。

 


実際に奉納されたものを見ましたが、これほど多くの人が奉納していたのだと感じました。

受付している期間はどれくらいだったのでしょうか。

けっこうぎりぎりまで受付していたのかもしれません。

なんせ私が行ったのは、2月でしたから、夏の頃や緊急事態宣言の頃はどうだったのか。

それを思うと、一時は百年祭ができるのか、そのことを心配していたのかもしれませんね。

 

これだけのことをするには、準備も相当な時間がかかったことと思います。

令和2年だけでなく令和元年もやっていたことがあると思いました。

ここまで行っていて、明治神宮鎮座百年記念祭が一部の人だけで執り行われた、となるのは避けたいと思ったことでしょう。

百年前から変わらずに存在

 

ちなみに、百年前はどうだったのか。

明治神宮の参道にあった写真です。

大正9年、1920年11月1日の光景です。

鎮座当日の参道にあふれる人々です。まるで、初詣のような光景です。

ここに映っている人はほとんどの方がお亡くなりになっていることでしょう。

それと思ったのが、この頃は帽子をかぶっている人が多かったのだなという印象です。

神殿近くでは、帽子を取ったのでしょうが、手前の人々は帽子姿が多いですよね。

 

明治神宮鎮座百年祭の夜間特別参拝に行った

なにわともあれ、明治神宮鎮座百年祭が行ったことが嬉しいかぎりです。

ここから見える「明治神宮鎮座百年祭」の文字を書いたのは、紫舟さんです。

夜間特別参拝は、幻想的な世界に思えました。

 

私も奉納した夢鈴ですが、この状態では見つけることはできませんでした。

これで見つけた!という人がいたら、それは余程のラッキーなことです。

あかりが付いた灯をみると、下にある短冊は複数ついていました。
8人分くらいはついていたかと思います。

なので、ぶら下がっているのをみていても、何枚か束ねられているので、自分の名前はすぐにみつかるわけでもないのです。

 


それでもこの灯をみているだけでもキレイで良かったですよ。

秋の日暮れは早いですから、すぐに暗闇の中に浮かび出ます。

参道の木々もところどころライトアップされていますので、真っ暗というわけではありません。

奉納の夢鈴の先は、参道の道に置く明かりになっていました。

こちらも奉納されたものでしょう。

 

正参道の第二の鳥居

鳥居がライトアップされていて、幻想的です。

2月に参拝した時のように、参道には鎮座当時の写真が飾ってありました。

第三の鳥居のところまで来ました。

拝殿までもうすぐです。

お正月の初詣とも違った雰囲気です。

初詣の時は寒くてよく覚えていませんが。

 


第三の鳥居のからは、NTTドコモビルがライトアップされていて見えました。

明治神宮の神門の灯と一緒になってきれいに見えましたが、私のスマホ写真では限界があります。

一眼カメラだったら、くっきり見えたことでしょう。

ライトアップされた鳥居と、タワービルと、神門の灯というフォトジェニックな場所です。

 


神門のところには、金の鳳凰と銀の鳳凰がいました。

こちらは金の鳳凰です。


こちらが銀の鳳凰です。

接近して見るよりも少し離れてみたほうがきれいに感じました。

ということで、少し遠くから神門の灯とともに、金と銀の鳳凰です。

 

紫色に染まる明治神宮拝殿


拝殿のところは、紫色にライトアップされていました。

やはり紫色は高貴な色なのでしょうね。

とにかくこの3日間、夜間特別参拝ができてよかったと思います。

特に、4月の状況を考えたら、11月になって寒くなったら、また自粛ムードになるかと関係者の方々は心配されたことと思います。

 


拝殿がある敷地から少し出てみました。

こちらは、西参道へつながる鳥居のところです。

以前にもこのブログで、西参道から入ったときの写真を載せていたはずです。

 


また、拝殿のある敷地に戻りました。

満月に近いお月様と、ちょうど飛行機が飛んで光っていたので、写真を撮りました。

これまた、スマホ写真では限界がありますね。

そう言えば、この夜間特別参拝の時、神門の内側のまわりに、生花がずらりと並べられていました。

古流とか、池坊とか、草月とか。

おそらくすごい先生方の作品でしょうね。

 


この日は、御朱印も夜間なのに、いただけました。
記念なので、御朱印もいただきました。

御朱印をいただく場所のほうから出た参道です。

御朱印やお守りの授与所である長殿からの参道というとわかるでしょうか。

 

最後に余談を。

今まで明治神宮に数え切れないほど何度も参道に行っていますが、代々木のことは、おそらく初めて意識したと思います。

昼間の参拝ではなぜか気に留めることがなかったのです。

「この地には代々(だいだい)樅(もみの木)の大木が育ち」ということで、「代々木」です。

 

この代々木という地名にもなった名木ですが、昭和25年の戦禍で焼失したそうです。これは、その後に移植したものだそうです。

こちらの「代々木」もライトアップされていました。