今回は、祐気取りとか、お水取りとか言われている吉方位に旅行した時に、お水をいただく話です。

九星気学のお水取りだとか、お砂取りとか、聞いたことがあるかもしれませんね。

 

その中でも実践している人が多いのがお水取りかなと思うのです。今回は湧き水、それも場所が、成田山新勝寺に行った時に立ち寄った羊羹屋さんなのです。なごみの米屋です。

成田山の表参道にあるお店ですので知っている人も多いことでしょう。他にも店舗を持っているので成田市を代表する羊羹、和菓子のお店です。

栗蒸し羊羹だとか、ピーナッツ最中など。

 

表参道の総本店の裏にある羊羹資料館に行ってみたこともある人もいるかもしれませんね。

成田羊羹資料館に行ったことがある人なら、知っているかもしれませんが、この資料館のそばの工場の隣にお不動様旧跡庭園があります。

そこでお水取りができますので、お水取りをしている人にご紹介です。

水を取り込んで、開運、運気を高めましょう。

 

お不動様旧跡庭園は工場の脇にあり(以前はここが不動明王像の場所)

羊羹資料館のことは後回しにして、まずはお水取りもできるという、お不動様の話を先に書きましょう。

お不動様旧跡庭園という場所が、なごみの米屋の工場の脇のところにあります。

総本店の裏手にある成田羊羹資料館に行って、まわりを見渡せばすぐに工場の存在はわかります。

この写真のような大きな看板もありますから。

ここの庭園は、成田山新勝寺の不動明王が400年前に遷座した場所なのだそうで、だからお不動様なのですね。

ここには、不動の大井戸がありまして、そこでお水取りができます。

お不動様にご縁があるというまさに、絶好の場所です。

 

まずは、工場を目印にして行きましょう。

工場のところには、緑の看板で、お不動様旧跡庭園と書いてあります。

工場敷地内の公園みたいな感じにみえます。

ここに書いてあるように、単なる一企業のお庭、というよりも、ホント、どこかのお寺の雰囲気です。

きれいに整備されていて、神聖な場所に感じます。

 

成田不動尊お遷座之旧跡記念碑や不動の大井戸、平成水守り不動尊

 

お不動様の遷座記念碑があるので、ここの場所に最初はお不動様があったのだとわかります。

説明もいろいろと書いてあります。

「大本山成田山新勝寺は、今より一千有余年前に東国鎮護の道場として開山され今日に至っています」

とのことです。

かいつまんで書きますと、最初にお堂が建てられたのは成田市の南方でした。

そこから室町時代に成田村の名主諸岡三郎左衛門が不動明王のご尊像を自分の屋敷内に遷座することとなり、永禄九年なで、奉仕をしてきたそうです。

その諸岡三郎左衛門の遠祖にあたるのが、この米屋さんで、この地一帯が屋敷内だったというわけです。

それでここを保存してきたとのこと。

諸岡家は、成田の草分け十七軒党の一家として明治初年まで米穀販売業を営み、明治三十二年に成田山新勝寺の精進料理の栗羹にちなみ、栗羊羹を発売したそうです。

米屋(よねや)となっていますが、米屋(こめや)から来た屋号なのですね。

 

先に、成田山新勝寺のことはブログに書いたのですが、その時にも書きましたが、表参道にある薬師堂が、そもそもの最初の場所だったとのことでしたから、この一帯が成田山新勝寺の不動明王が存在した場所だったのでしょうね。

初詣に人気の成田山新勝寺で御朱印を(奉祝天皇陛下御即位即位の印をいただいて)

 

成田山不動尊御遷座之旧跡記念碑は、それを記念して、なおかつ米屋さんの会社の繁栄を得たことをお不動様に感謝する意味もあって建てられたそうです。

記念碑の文字は、なごみの米屋の創業者諸岡長蔵氏の筆によるものです。

 

どうでしょうか。単なる庭園というよりも、お寺のような雰囲気がわかるでしょうか。

こちらが不動の大井戸です。心を洗う湧き水と読むのかしら。「湧水洗心」と書いてあります。

この額は、成田山の大僧正が書いたものだそうです(成田山中興第二十世貫首)。

親切なことに、もし、水を入れるペットボトルなど忘れてしまったとしても、持ち帰りができて、そのうえ何度も使える簡易式お水入れが羊羹資料館の受付のところで売っているのですよ。

1つ100円でした。

私もペットボトルを持っていたのですが、この水入れがとても便利だったので購入しました。

その後は、いつもこれを持ち歩いて、お水取りができるような場所に出会った時に、持ち帰りに使っています。

今までは、むりやり、自分が持っていたペットボトルをその場で飲んで空っぽにしていたのですよ。

 

 

見ていただくとすぐにわかるように、湧き水なのですが、きれいに管理されています。

安心して持ち帰りできますね。

地元の人だけでなく、遠くからも来ているほど知られた場所であると、この井戸のことを英文で書いてありました。

ここの近くに人々に愛飲された霊水の湧く大井戸があって、お不動様をこの地に遷座した時、大井戸から毎日諸岡三郎左衛門が水をくんでお供えしていたそうです。

当時の大井戸は埋まってしまっているそうですが、諸岡家は、その大井戸と同じ水脈から湧き出る水を枯らすことなく伝えてきたそうです。

 

平成水守り不動尊

お不動様だ!と思ったら、こちらの不動明王が水守り不動尊なのですね。

「平和な成田を願うこと、この井戸を後世に伝えるために、この不動明王像を『平成水守り不動』と名付けました」と書いてあります。平成は、平和な成田の意味です。

不動明王像は成田山新勝寺に移っていますから、こちらにも守り神として、庭園を守護してもらうようにと成田山新勝寺のご本尊の分霊を勧請したものだそうです。

創業九十周年のときに発願し、平成四年に建てられた不動明王像です。

不動の大井戸に象徴される水資源を永くお守りするためという意味もあるそうです。

 

庭園内には、米屋の創業者である諸岡長蔵の胸像もあります。

資料館でいただいた、米屋羊羹店の信条を読みますと、不動明王様のお力だけでないな、日頃の行いもあるのだろうなということがわかります。

 

ちなみに、成田羊羹資料館には、このようにお不動様旧跡庭園の場所と簡単な紹介が書いてありますので、資料館に行ってからこちらのお不動様旧跡庭園に行ってもいいですね。

 

お水取りが終わったら、ぜひとも、この羊羹資料館に立ち寄って見学していただきたいです。

見学は無料ですよ。

 

成田羊羹資料館はなごみの米屋の裏手口から出る

もちろん、お土産の羊羹やピーナッツ最中を買ってからでかまいません。

このブログ冒頭の写真でもわかるように、羊羹資料館の総合受付の窓口でお水取りの簡易な水筒を購入できますし、いっそのこと、羊羹資料館に入ってもいいです。

 

10月1日から12月26日までの開館時間は、午前9時から午後4時まです。入館無料と書いてありますね。

夏の間は、もっと開館時間が伸びているのでしょう。

羊羹資料館の中に入りますと、先ほど写真を載せたお不動様旧跡庭園の写真の隣に、このような「運だめし、おみくじ羊羹」というおもしろいものがありました。

早速、やってみましたよ。

 

羊羹資料館の中の運だめしのおみくじ羊羹でおみくじを引いてみた

まずは、お賽銭箱に百円を入れましょう。

おみくじが入った箱の上に、恵比寿様、大黒様の像がありますので、そちらを参拝です。

羊羹にも、大黒様と恵比寿様の絵が書いてあります。

大黒様好きの私に最適のお土産になりました。

箱の中をぐるぐる回して、取り出します。

数字が書いてありますね。それと青と赤の別がありますから注意を。

向かって左が赤で、右が青の番号です。

 

 

これは「赤の4番」ということです。

引き出しから「赤の4番」を探して、そこから羊羹の箱を取り出します。

 

ちなみに、羊羹は胡麻羊羹です。

開運招福の大黒様と、商売繁盛の恵比寿様で、縁起の良い羊羹ですね。

 

羊羹の歴史もわかるしレトロな物が好きな人は一見の価値あり

骨董市めぐりをしている人ならずっと立ち止まりそうな場所です。

よくぞこれだけ保存していたなと思うほど。他社の羊羹のパッケージもありましたから。

値段札には、定価 金参拾(三十)銭です。古いキャッシュボックスもあります。

お菓子の木枠も珍しいです。

 

アルミ箔紙函包装(紙函流し)

今でこそ、当然のアルミ箔と紙の合体も試作を重ねたのでしょうね。

ここの羊羹を流し込んでいたのか、と驚きです。

これのおかげで、日持ちのする羊羹になったのですね。

それまでの羊羹は、羊羹舟に流されて、一日かけて冷やして、固めてから切り分けていたそうです。

それを1本、1本セロファンで包んで、包装紙に包んでいたということです。

その時代の羊羹を知っている人は、いるでしょうか。

創業者の持ち物なのでしょう。古い書籍などありました。

驚いたのが「会社四季報」です。

昭和二十三年第二集の現物を見ました。

以前の会社四季報の記念号に、昭和11年の創刊号の表紙の写真がありましたが、それは写真だけだったので、現物をみることができました。

会社四季報の隣は、売上の記録でしょうかねぇ。

どこぞの博物館顔負けの展示物です。

当時の石鹸などもありました。

物を大事にすることが見てとれます。

羊羹資料館では、長蔵語録とか、米屋羊羹店の信条とか書いてあるものをいただきました。

いいことばかり書いてありまして、とっておこうと思いました。

「儲けることのみ先にするから畢竟儲からぬ、己れを犠牲として顧客の利益を計ればやがて儲かる」

「八分で満足せよ、十分を望めば無理が出来、やがて滅亡の因となる」とか、メモに残したいものばかりです。

商売の基本ですね。

「顧客は商売の目標にて最大の恩人なり。誠心誠意を尽くし、原価を基準として、品質の優良と価額の低廉を計れ」

とか、なかなかできるものではありません。

でも、ここで働いている人たちを見ていると、これらを元にして社員教育をしているのだろうなと感じることがあります。

 

長蔵語録には、「正直、この位は知れまいと思うのは悪の始まりなり遂に身を滅ぼす」とか書いてありまして、ギクっとなりますね。

ちょっと気になったのが、この言葉です。

「にちにち昇る朝日はおがめども入日のかげをおがむものなし」

この言葉の裏にはいっぱいありそうな気がするのですよね。

後で調べたら、諸岡長蔵の遺訓でもある古歌だそうです。今日一日への感謝と明日への反省をこめて、沈む夕日にいつまでも合掌したい気持ちを表したものだそうです。

旧跡庭園にある諸岡長蔵の胸像も、この古歌のとおり、西向きに建てられているそうで。

 

羊羹資料館には、語録だけではなく、羊羹の歴史について書いた資料もあるので、そちらもいただけました。

羹(あつもの)という料理が始まりで、その中の一つだったそうです。

中国の羹が遣唐使により伝来しました。平安時代末期には献立に羹が登場しています。

室町時代に茶道の点心として喜ばれるようになり、現代の蒸し羊羹的なものだったそうです。

寛政2年(1790年)に京都伏見の駿河屋、岡本善右衛門が砂糖と餡に寒天を加えた練り羊羹を作ったそうです。

遣唐使のころに伝来して、今の羊羹に近いもの(甘いお菓子)になったのは今に近い時代だったのですね。

日本の有名な羊羹屋さんのことも書いてありました。

山形県酒田市の名物、呉竹羊羹は小松屋で、竹久夢二や正岡子規にも絶賛されていただとか、虎屋の羊羹は、京都が発祥地で、明治天皇の東京遷都に伴って東京に出店しただとか、藤むらは、加賀の前田利家の命令で作られたのが始まりで、夏目漱石の草枕にも登場するだとか、へーへーと思うことばかりでした。

他にも盛りだくさんの資料がありますが、これくらいにしておきましょう。

 

お水取りにできる湧き水もいいですが、ここまで立ち寄りましたら、お不動様旧跡庭園だけでなく、羊羹資料館も見ておくといいですよ。