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受験シーズンに上野に行って合格大仏に祈願を
私は、受験シーズンには天神様にお参りに行っていたのですが、上野の合格大仏があるということを聞きました。
ちょうど上野の不忍池辯天堂に行く予定があったので一緒にお参りに行ってきました。
上野大仏のところには、パゴダ薬師堂もありますので、一緒にお参りできますよ。
以前に、辯天堂からの帰りに、五條天神社と花園稲荷神社にお参りに行ったことがあります。
そのすぐ近くに上野大仏があったのですね。
知っていれば、その時にお参りにいったのに、と思いました。
五條天神社では病気平癒の祈願に行く人も多いみたいなので、こちらの上野大仏の横にある薬師如来にもお参りするといいかと思うのですよね。
東京国立博物館とか、国立西洋美術館とか行くことはあっても、上野精養軒に行くことはあっても(もちろん、上野動物園も!)なぜか、上野の大仏様を知らなかった私です。
上野大仏のことは御朱印で知った
こちらが上野大仏の隣にある、パゴダ薬師堂です。
同じ場所で一緒にお参りできますよ。
そもそも上野の大仏を知ったのは、上野の寛永寺に行った時に、寛永寺では御朱印がいくつかいただけると聞きまして、その一つが、というか2つが上野の合格大仏と、パゴダ薬師堂だったというわけです。
そうしたら、「落ちない大仏」ということで上野の大仏は、合格大仏として有名だったと知ったのです。
なぜ、合格大仏なのか?
上野大仏は、1631年に堀丹波守直寄が創ったそうです。
直寄は、南光坊天海の寛永寺開創構想に協力して、大仏も造立寄進しています。
この大仏は、京都東山の方広寺に豊臣秀吉が寄進したのものを模した大仏だったそうです。
「寛永寺だより」に拠ると、歴代将軍との関係も深い天海ですが、豊臣家ゆかりの大仏を真似して作るというのは幕閣との対立を煽るものにもなりかねないのに、直寄は天海に力を貸したのだとか。
建立当時は像高6メートルあったのだそうですが、大地震で3回、火事で1回と合計4回も首が落ちたのだそうですよ。その都度、再建されたのですが、関東大震災によって崩壊したのちは、お顔のみレリーフとして保存です。上野恩賜公園の案内に書いてありました。
明治の時代の上野大仏の写真をみましたが、6メートル以上にも見えるくらいの大きなものにみえました。
そのお身体のほうですが、第二次世界大戦で、供出されてしまったのです。
しかし、昭和47年に旧地に戻って今は、お顔のみです(それもレリーフ)。
これ以上落ちることのない、ということで、合格大仏なのですね。何度も首が落ちていることがわかるような理由ですよね。
そもそもは、パゴダの祈願塔のある場所に大仏様がいらっしゃったというのです。
最初の写真でもわかるように、少し小高い丘のようになっている場所ですから、遠くからも見えていたのでしょうね。
大仏の右には絵馬を掲げる場所もあり
遠くに寛永寺の時鐘が見えますね。
レリーフですが、なんどなく本物のように見えます。昔のお姿の写真もありました。
お賽銭箱のところには、ここはお寺なので、神社のように柏手を打つではなく、合掌してくださいということが書いてありました。
けっこうお寺で、二礼二拍手をやっている人を見かけますが、お寺では合掌です。
お経を唱えてもいいくらいですね。
大仏復元の拠点として寛永寺と上野観光連盟がここにパゴダを建立したとのことです。
上野には、見どころがいっぱいありますから、ここも重要です。
大仏様に向かって右側には、大仏様の絵が入った絵馬を掲げておける場所もありました。
しかし、私が気になったのは、水晶です。
限定の願掛け水晶で合格祈願も
大仏様のお顔の下には、水晶が置かれていたのです。
中には、水晶の山のようになっている場所もありまして、それだけ奉納している人もいるのだということです。
それ以外の水晶は、願掛け用の水晶になっていました。叶の文字と大仏様のお顔のイラスト入りです。
最初やり方がよくわからなかったのですが、売店のようなところに書いてありました。一つの水晶の石が私が行ったときは、700円でした。
ただし、今もまだよくわからず。やり方は、売店の人に聞くといいでしょう。
片方の看板には、祈願を先に書いてありますが、隣の看板には、住所、氏名を書くようにとなっています。
願掛け水晶は、購入後、大仏様の縁台に乗せまして、手を合わせ祈願します。試験合格のほか、難関突破とも書いてありますね。
不定期に縁台から移して、願い玉の器の水晶にするとも書いてあるので、あまりにも放置しているとそれはそれで無くなってしまうかも、です。
よくお寺さんで、御祈祷のあとに、御札を取りに来ないと、お焚き上げするということに近いのかな。
このようにして、水晶の石を置きます。
お礼参りの時にお持ち帰りできるように氏名、住所を書くのでしょうか?
最近は、個人情報のことがありますから、氏名、住所は書かないのかな?
合格したあかつきには、お礼参りに行きますからその時に、持ち帰りするようです。
しかし、そのそばに、遠方の方やお持ち帰り希望の方は祈願後、すぐにお持ち帰りできます、と書いてありますから、一度は置いて、すぐに持ち帰りすることもできるようです。
でも、見ているとそこに置いておくのが良さそうな感じもしますね。
私は、甥っ子、姪っ子の国試合格の祈願だけしました。水晶は、本人も来た時にしようと思いました。
パゴダ薬師如来の御朱印と一緒にいただきました
売店の裏手には御朱印をいただける場所がありました。納所というのかな。
10時から15時まで御朱印がいただけます。
ただし、お昼の時間帯、12時から12時30分までは休憩です。
私はお昼の時間帯が終わって少し経ったくらいの時に行きましたので、数名の方が御朱印を待っていました。
しばらくしてすぐにいただけました。
合格大仏とパゴダ薬師如来の両方ともいただけました。釈迦如来と薬師如来ですね。
時間帯が決まっていますので、それに気をつけておきましょう。
私がいただいた御朱印は、めちゃめちゃ達筆でした。
薬師如来は、中の写真撮影ができないので、外の塔だけの写真となります。
梵字が印象的です。
薬師如来ですから、上がくるんと丸くなっている梵字です。
旧薬師堂の薬師如来三像が、こちらに遷されているようですね。
病を治して、寿命を伸ばしていただけるようにお願いしましょう。
お願いのやり方は、そばに書いてありますよ。
こちらも絵馬を買って、お願いごとと名前を記入です。
絵馬を合掌して挟んで、一礼。
時計周りにパゴダを一周して正面に戻ったらまた一礼してから、絵馬をかけます。
ひとまわりする間に、7回真言を唱えることを忘れないでくださいね。
薬師瑠璃光如来が本尊で、大医王仏とも言われる薬師如来に、心と身体の健康祈願です。
合格大仏のほうが有名で、合格祈願が多いようですが、薬師如来像の前にてお参りする人は少数派なのかしら。
薬師如来ということで、合格大仏のお力とともに、医師国家試験の合格もお願いできるでしょうか。ダブルのお力をお借りして。
大仏山を目指して「上野大仏」の看板を目印に
この合格祈願の立て看板は、私が行った時が受験シーズンだったからかもしれません。
上野精養軒を目指して歩いていきます。都立上野恩賜公園内のさくら通りという通りの小高い丘の上です。
先ほども書いたように、御朱印の時間も短めですし、ここが開いているのも、午後4時までだと聞いています。
御朱印がほしい人は、もっと早めの3時までですから、こちらを先にお参りしておくのも方法でしょうね。
西郷隆盛像や美術館、博物館は知っていても、上野公園の中に大仏山という小高い丘があることを知らなかった人もいると思うのです。
私のように上野大仏のことを知らなかった、というよりも気にも留めずに通過してしまっていたという人もいると思うので、大仏やその近くにある五條天神社などと一緒に参拝してみてくださいね。
その後に上野大仏に行った時のこと
4時までと書いてありますが、3時には入れないようになっていました。
3時7分到着で既に大仏のある小山への入り口、門が閉まってました。
ここには、お守りは3時30分まで、と書いてありますが、入り口全てが閉まっていたので、お守りの場所まで行けませんでした。
それで周りをぐるりと回って見ました。
裏手にお地蔵様を発見しました。
それと、石塔も。
開いていたら、ここまでぐるっと回らなかったはずです。
お地蔵様に気づいたので、ヨシとします。