私の場合、一年に1回、お正月の時に七福神めぐりをするようになりました。
お正月に1回だけ、という程度だったのです。しかし、令和2年のお正月は、いつもと違って2回目を行きました。
1回目は、都心の七福神(上野や田端など下町中心)めぐりでしたが、今度は都下、青梅の七福神めぐりです。
下町の「谷中七福神めぐり」の記事>>谷中七福神めぐりは江戸最古!2020年は田端駅改札出たら地図が置いてあった
それも、三面大黒天という珍しい大黒天の掛け軸がこのお正月時期だけ公開されるのだと聞きまして、どうせなら七福神めぐりをしてみよう!ということで行ってきました。
目次
巡り方は駅から遠くから攻めてみた!寿老人の聞修院からスタート
他の七福神めぐりでは歩きを基本にしていますが、七福神だけでなく、他にも一気にめぐりたいということで、車でショートカットです。
途中で、小学生の集団に会いまして、小学生でも歩きで七福神めぐりをしているのに、と思いましたが、一日で全部をめぐることと、他に行きたいお寺さんと神社があったので、車にての七福神めぐりです。
青梅の七福神は、全長が20キロメートルで、小学生なら6時間くらいかけて歩くのでしょう。
最初の寿老人の聞修院のところから、すでに、車で来てよかったと思いました。
青梅駅からはけっこう距離をあることがわかったからです(歩きだと、30分から40分くらいかかる)。
七福神のお寺さんは、多摩川沿いにバラバラにありまして、比較的青梅市内の交通の便が良さそうなところに点在していますが、聞修院だけは山沿いにありました。
青梅は、サイクリングでいろんな名所を回って観光するも多いそうで、お正月でもサイクリングをしている集団を見かけました。山沿いをサイクリングするということは、意外と、足を使ってハアハアしそうです。上り坂も多いでしょう。
しかし自然の光景を見ながら自転車を楽しめるからか、青梅や奥多摩はサイクリングの名所なのだとか。サイクリング愛好家ならよく知っていることでしょう。
商工会がモデルコースを作って、青梅サイクリングマップとして配っているそうです。奥多摩駅からレンタサイクルで、自転車を返すのが青梅駅でもいいというものもあるそうです。
ほかにはバスを使うという方法もあります。
多摩青梅七福神となっていた七福神めぐり
小高い丘にも祠があります。
私は、御朱印帳に書いていただいたのですが、先ほど書いた小学生の集団は、色紙を持っていてすでに七福神が描かれていて、そこに御朱印を押してもらうだけ、という集団でも時間があまりかからない方法を取っていました。
私の同行者は、御朱印帳を忘れたので同じく色紙を購入したのですが、こちらは墨書きして御朱印をいただく「納経」タイプのものでした。このタイプの色紙は、お正月、1月のみ出てくるそうです。
青梅の七福神めぐり自体は、お正月だけでなく巡ることができます。通年で参拝できると書いてありました。
(なお、参拝できる時間は、朝8時から夕方5時頃までとなっています。朝早くから開いているのですね)
各地で行っている七福神めぐりにもタイプがあって、お正月だけ御朱印を授与するというものもあれば、通年でおこなっているが、お正月だけ特別なものになっている、というタイプがあります。
青梅の場合、通年でも七福神で御朱印の授与を行っているようですが、納経タイプの色紙は1月だけ、となっているようでした。
広い敷地の門修院(曹洞宗)
多摩青梅七福神めぐりでは、青梅駅から遠いものの一番敷地が広かったのではないかと思うのが聞修院です。
庭園の手入れもきちんとなされていて、鎌倉や京都にでも行ったような気分です。
小さなお地蔵さんや像がたくさんありました。
小高い丘があってそちらからみるとお庭全体が見渡せます。
茅葺き屋根は必見
山門を入って真正面が本堂になります。茅葺き屋根の歴史を感じる本堂です。一度、燃えてしまって嘉永年間に建て替えられたそうです(それでも十分古いのですが)。
あとで調べてみたら、この茅葺き屋根はスギ・ヒノキの樹皮を乗せた今では珍しいタイプの茅葺き屋根だそうです。屋根については、平成14年にふきかえというのでしょうか、改修されているのだとか。
本堂の御本尊は、青梅市指定の文化財です。
本堂に向かって右手が、御朱印などをいただく場所になります。
本堂に向かって参道を歩いていますと、寿老人が祀られている寿老堂があります。
その他にも、不動明王のお堂があったり、地蔵堂があったり見ていて飽きません。
こちらの聞修院では、坐禅会を行ったり、読経や御詠歌を習ったりと、いろいろと学べるお寺さんです。
イベントも多いようでしたよ。
地域に開かれたお寺さんなのですね。
小高い丘のほうに登ってみました。
なんとニホンカモシカがこの自然あふれる場所にやってきたこともあったそうです。
今はお正月で枯れ木ばかりですが、緑溢れる季節には森林浴ができるほどなのでしょう。
明白院は福禄寿(曹洞宗)
青梅駅の遠くから攻めているのがよくわかるほどですが、それも車での七福神めぐりだからです。
これが歩きだったら、別のルートを選んでいたのかもしれませんね。
次に向かったのが、福禄寿です。寿老人の次は福禄寿という長寿を優先しているかのようです。
鶴と亀とを従えた神様です。
山門は、安土桃山時代の建築物だそうで、実際に見たらすぐにわかるかと思いますが、歴史ある建造物です。
青梅市の重要文化財にもなっています。
どれも外側から写した写真なので、内側が暗くなってしまっています。
病気の狸の世話をしたネズミの話がありまして、ネズミが実は、福禄寿だったということなのです。
山門を入ってすぐが御朱印をいただける場所になりますからわかりやすいです。
そのすぐ左が本堂になります。
開山堂に福禄寿をお祀り
本堂から首を右に曲げますと、開山堂が見えます。
こちらに福禄寿をお祀りしているそうです。
御本尊は別にあるのでしょうね。
木造の大きい福禄寿が目立ちますが、実際にお祀りしているのは、その手前にある福禄寿でしょう。
こちらが本堂になります。
本堂の写真ばかり撮っていたら、肝心の狸の石像を探し忘れました。
本来は、三体あったといわれる狸の石像ですが、今は一体だけなのだとか。
狸を看病していた三匹のネズミが、実は、福禄寿の化身だったということで、狸の死体のそばには、お米が散らばっていたことから、狸の石像も米俵を担いでいたらしいのです。
それほど広い場所ではなかったので、狸の石像はすぐにわかるのでしょうが(山門のそばにあったらしい)、なんせ、本堂とか、開山堂の建物に気を取られていました。
こういうのは、あらかじめ予習して、その場ですぐに思い出せるようにしていないとだめですね。
恵比寿様の成田山 清宝院(真言宗)
青梅駅を目指すようにして次に向かったのが恵比寿様です。
清宝院です。
車で来たのなら、この大きな看板が目印になります。
階段を登っていくために、看板は高いところに建っています。
ここのお寺さんも、見どころが満載です。
なんせ、お寺の境内を入っていった奥にカフェなどあるのです。
まずは、階段を登っていきます。
階段を登ると見えるのが、池です。
弁天様でもいらっしゃるような池ですね。
山門に、成田山 清宝院の提灯が見えますし、山門にかかっている成田山青梅永盛講事務所の文字もみえます。
成田山って、あの成田山新勝寺の成田山でしょうか。
青梅の七福神も、こじんまりとした小さな敷地のお寺もあれば、見どころ満載のお寺もあって、バラエティにとんでいます。
ここ清宝院は、見どころ多めです。
この山門は、なんと入間市のお寺から江戸末期に移築されたものだとか。
本堂は、古いですが、立派なものです。
成田山だからなのでしょうね。節分会を行うことが書いてありました。
本堂の額には、「成田山」の文字があります。
この額は、高幡不動の仁王門の修復にもかかわったという後藤巳之助の作品で、文字は江戸末期の名筆家、萩原秋厳の書だそうです。
本堂の内側というのか、本堂向かって右手に受け付けがありました。
そこで御朱印などいただけるようになっていました。
本堂に向かって左が恵比寿様の場所です。
本堂の本当にすぐそばに恵比寿様がいらっしゃるお堂がありました。
参道をわけて隣には、毘沙門天の石像もありました。
しかし、清宝院の担当は、恵比寿様ですね。
恵比寿様は日本の神様で、漁業の神様です。
釣り竿や鯛を持っていますよね。
こちらの清宝院の恵比寿様もそうでした。
こちらの恵比寿様は、江戸時代に深川木場の人に信仰されていたものだそうです。
漁業関係者だったのかしら。それが縁あって、明治時代にここに奉納されたとか。
清宝院の御本尊は、成田山だからか不動明王だそうで、御本尊さまの御朱印もありました。
七福神では恵比寿様ですね。
鯛の印もみえます。
そういえば、清宝院では、大黒天様のお堂もありましたよ。
ここで七福神めぐりができそうなくらいです。
こちらは半兵衛大黒天というのだそうです。
多摩川の河原、通称、半兵衛河原で拾い上げたものだそうです。
縁あってここに奉納したそうです。
池のところに、小さなお堂などありまして、本当に、ここで七福神めぐりができるのではないかと思うほど。
山門のところには、成田山の石碑もありました。
そこで守るのは、狛犬さんでしょうか。
先ほども書いたカフェなのですが、ニウギニといいます。
ニューカレドニアのイメージのお店です。
コーヒーにカレーそして、そばというバラエティに富む品揃えです。
ちょっと立ち寄りたかったのですが、時間までに七福神めぐりが終わるのか、他にも立ち寄る予定の場所があったので、立ち寄りは諦めましたが、お店の場所は確認してきました。
ここにも地図が書いてありますが、本当に境内です。
本堂のそぐそばに裏手に行ける道があってそこにありました。
私はよくお寺の裏側にも行くのですが、そのようにお寺の本堂の裏側に行くような人でしたら、すぐにわかります。
しかし、境内にあるお店、飲食店なのですね。たまーに、そのようなお店、飲食店をお寺の中で発見することもありますが、珍しいです。
開店しているのは、不定期みたいなので、行ってみたいなと思うなら、前もって開店している日を確認しておくといいです。
この立て札が出ている時は、営業中ということなのかな。
大黒天は延命寺(臨済宗)にて
ここからは青梅駅周辺となります。そこで一旦、車を止めて歩きでめぐることにしました。
「子育」呑龍上人、延命寺と書いてある碑がありまして、そこの角を曲がっていきました。
貧しい子どもを多く育ててきたという呑龍上人ではないかと。
さて、これから今回の青梅七福神めぐりをしようと思ったきっかけとなった三面大黒天の掛け軸を見にいきます。
道を下っていきますと、塔が見えてきました。
延命寺を訪れるとすぐに目につくのがこの塔です。四重の塔かと思ったけど、下にもあるので五重塔ですね。
この五重塔を目印にしたらいいです。
五重塔ですが木造となっているので、歴史ある建造物なのでしょう。
この五重塔では厄除の観音様をお祀りしているようですね。
こちらの塔があるところから出入りしている人ばかりなのですが、山門は別にあります。
塔がある出入り口のすぐそばには、青梅天神がありまして、合格祈願さらには、就職祈願もできるようでした。
出入り口すぐそばにあるのが、天神社です。こちらもなかなか古そうです。
出入り口から正面に見えるのが、先ほどの石碑にも書いてあった呑龍上人のお堂でした。
花祭りの4月8日には、呑龍上人の御開帳もあるそうです。大般若会も行われるそうです。
その頃は、青梅の桜の見頃時期は過ぎているのかしら。
御朱印もお正月は三面大黒天となる延命寺(臨済宗)
延命寺は、1369年に建てられたお寺で、お寺でありがちな火災もなく、今までずっとこのままで建っているそうですよ。
名前が延命というのがいいのでしょうかね。
今回、三面大黒天の掛け軸を見たかったこともありますが、御朱印です。
いつもは、大黒天となっているのでしょうが、お正月の15日までは、「三面大黒天」の文字になっています。
色紙では大黒天となっていても、御朱印帳には「三面大黒天」になります(1月15日まで)。
御朱印帳を持ってきてよかったわ。
そういえば、ここで思い出したのですが、青梅の七福神めぐりでも他にもたまに見かける小さな像と宝船のものをひとつひとつ集めることもでるようになっています。
延命寺では、宝船の台も売っていました。台のみ、700円と書いてありますね。
七福神の像は、ひとつひとつ集める必要があります。一体が500円です(令和2年現在)。
こちらの延命寺では、ほかにもお正月期間だけ「魔除けの七福神土鈴」も売っていました。
お正月期間だけとのことでしたし、手作りなのか、数も限定のみ、となっていたので、なくなり次第終わり、ということで数に限りがあります。
大黒様は、おおらかな笑顔で描かれることが多いですが、それは、日本の大国主大神がこれまた「だいこくさま」なので、大黒天を習合して、そうなったといわれています。
大黒天というだけあって、真っ黒なのが大黒天ですし、もともとは怒っている顔なのですよね。
こちらに飾っている大黒天も真っ黒ですが、「秘仏」となっている掛け軸の大黒天も真っ黒なのです。
秘仏ですから、今のこの時期しか観ることができない掛け軸です。
本堂の左奥にあります。「どうぞお上がりになってお詣りください」ということで、本堂に上がらせていただきました。
実際に秘仏となる招福大黒天の掛け軸をみせていただきました。三面六臂の大黒天です。
怒った顔の大黒天(憤怒の大黒天)で、本来の大黒天はこのようなのだなとわかるものでした。
大黒天の掛け軸のそばに、大黒天からお金を借りることができるタネ銭がありました。
豊中稲荷で借りてくる融通銭みたいなものと思えば、イメージできるかな。
大黒天からお金を借りる、ということになっていて商売繁盛になったら、またお礼参りに来るというシステムです。
そのお礼参りに来た人が入れておいているお金がお賽銭というよりは、お札が多めで、きっとご利益があるのでしょう!
こちらが、延命寺のお庭に置いてあった石でできた打ち出の小槌です。
大小ありますので、自分が動かせそうなほうを大黒様のように振ってみてください。
見た目よりもずっと重たいですよ。小が10キロ、大が20キロですからね。
静かに持ち上げて福を振り出します。いたずらやふざけて行うと悪いことが振りだされますからね。
打ち出の小槌(福槌)に穴が開いていて、お金がでてきます。
石の重さだけでなく、この小銭の重さもあるのでしょうね。出てきたお金をいただいたら、代わりのお金を入れておきます。
大黒天とお金交換?でしょうか。
さて、こちらが先ほどから書いてきた延命寺の山門になります。
でも、こちらの山門の出入り口を使って入ってくる人はいなかったです。檀家さんくらいなのでしょうかね。
ほとんどの人が五重塔のほうの入口からでした。
桜の木と思われる木がありましたから、桜の頃にきたら、このフォトジェニックな五重塔もありますから、写真好きの人の格好の場所になりそうです。
毘沙門天は宗建寺(臨済宗)
延命寺からは、わりと近くにある毘沙門天を担当している宗建寺です。
七福神の中でも強そうなイメージの神様ですよね。
延命寺からだと、山門の入口ではないのですが、駐車場のほうからだと山門がわかります。
お寺の名前がある石碑もみえます。
山門すぐそばには鐘撞堂もありました。
4月1日は、毘沙門天の毘沙門講も行っているそうです。
こちらの庫裏が受け付けになって本堂とつながっています。
本堂前の庭にかえるの置物がみえます。
お庭には、「むかえる」という蛙がいました。六の蛙という読み方がむかえるだからなのですね。
それも縁起の良さそうな、若返る、栄える、蘇る、無事かえる、福に変える、良く考える、の6つです。
よくよくみればどれにも「かえる」という文字がありますね。
かえるのそばには、水琴窟もあります。
本堂のところに毘沙門天の像が飾ってありました。
毘沙門天は多聞天とも言われて、一言も聞き漏らさないと言われています。
そのうえ、十種類の功徳があるとか。
宗建寺の毘沙門天は2体あって、一つが弘法大師作といわれる秘仏の毘沙門天、もうひとつが御本尊の毘沙門天です。
おそらく真ん中の毘沙門天が秘仏(お正月のみ公開)のほうかなと思いました。かなり小さくてよく見えないくらいでした。
大きめの木彫りの毘沙門天像は仏師の名前(伊藤某)と書いてありました。
宗建寺の額には、宗建禅寺と書かれていました。
合掌一礼の札がみえますね。
ここの宗建寺では、人に会わないで静かなひとときを過ごしました。
冒頭でも書いたのですが、次の場所ではにぎやかな七福神巡りをしている小学生の集団に会いましたから。
小高い山のような場所に、弁天様がお祀りされていました。
ここの弁天様に三味線のバチを奉納する人が多いのだそうです。弁天様は、芸道の神様でもありますからね。
最近では、三味線のバチだけでなく、ギターのピックも奉納するのだとか。
この弁天堂の前に庚申塔があったそうなのですが、なんと観ることを忘れました。見逃し厳禁ですね。
庚申塚とか、庚申塔はじっくり見ていると面白いものが書いてあったりしますので、見ておくといいのです。
そのうえ、宗建寺の庚申塔は、普通は角柱や石柱なのに対して、丸形なのです。
それだけでも見逃し厳禁なのに。。。
ここの庚申塔には、三猿が描かれてたそうで、これもかなりユニークなものだそうです。
今でもなんで見逃したのだろうと後悔しております。
かえるの置物や庚申塔だけでなく、庭には、宝塔がみえます。
その他にも、ミニ三重塔のようなものもみえますね。
ほかにも墓所のほうに、有名なものがあったそうなのです。
裏宿七兵衛のお墓です。
私はてっきりお墓のほうへは檀家さんしか行けない場所と思っていたので、まったくそばにもよっていません。
裏宿とは江戸時代の青梅の地名で、裏宿という場所があったそうです。そこに住む鼠小僧のような盗人です。
正義感がある盗人で、悪代官や悪い商人の家に(よく時代劇で、お前も悪よのうといういっているアレ)忍び込んで盗みをはたらき、貧しい人に分けあたえたそうです。
いつまでもそれは続かないで、捕まって打首になったのをここのお寺の和尚さんが手厚く葬ったということです。
そのお墓があるそうです。
その精神は今も続いていて、ここのお寺さんで、七兵衛わらじというものが500円で売っていました。小さなお守りのようなものです。
なんだろうと思っていたのですが、そこには、「和尚手作り」という文字がありまして、恵まれない方に寄付するためということが書かれていました。
お墓のほうに近寄っていなかったため、意味がわからなかったのですが、この七兵衛のお墓の話を聞いてなるほど、と思いました。
他にも青梅の文化人のお墓があったりと、お墓を見物というのは、私自身はあまり好きではないのですが、歴史ものが好きな人は見学しておくといいかもしれません。
それにしても私は、庚申塔を見逃したことが残念ですわ。
七福神めぐりは、最後のほうは疲れが出てしまうのかしら?
弁財天は玉泉寺(臨済宗)
こちらが、私の青梅の七福神めぐりの最後となった弁財天です。
玉泉寺になります。ここも境内にいろいろありまして、見どころ満載です。
弁財天ですから、池や小川もあります。
まずは山門から入ってみて見つけたのが薬師如来のお堂です。
池のそばにありました。
いろいろと奉納されているのは、病気平癒の祈願に来た人が奉納していったものではないかな。
山門近くには、鐘撞堂もありました。
お寺にあった説明書きによると、「江戸時代には、境内1900坪に、釈迦堂、鐘楼、山門を配置し、末寺17寺を有していた」とのこと。
大きなお寺だったのですね。
大正2年に火事になり本堂などお堂が焼けてしまったが、その後再建されたそうです。
それでも「山門、石垣、礎石、湧水池は旧態をとどめ、さらに、境内は市指定有形文化財、正応元年銘の板碑、北条氏の鐘借用状、建暦二年の奥書のある大般若経四百巻、元和三年造立の銘がある大応国師像を蔵している」と書かれていることからも歴史あるお寺なのです。
火事で焼けてしまった部分があるものの。
地蔵堂もあります。
玉泉寺に入ってみると木々が多いなと感じたのですが、なんせお正月ですからどれも枯れ木です。
そうしたら、このお寺さんはいろんな桜、河津桜、寒桜、枝垂れ桜、山桜、もちろんソメイヨシノとあって、春には花の饗宴となる場所だったのです。
かなりいろんな種類のお花が咲くそうなので、七福神めぐりはお正月がいいのだけど、春にも来たいお寺さんです。
こちらが玉泉寺の本堂です。
御本尊は、十一面観音さまだそうです。
弁財天のお堂の前にも絵馬がかかげられていたり、奉納されたものが多くありました。
その前には、銀と金の蛇が描かれてたものが額に飾ってありました。
そこには、達筆すぎて読めなかったのですが、銀の蛇には、「銀となる」の文字が、金の蛇には、「金を運ぶ」の文字が書かれていまして、これが御朱印としても頒布されていたのです。
弁財天のお堂近くにある池には、傘の飾りもついていて、今のこの光景でも、春にはきっと花がたくさん咲いてきれいなのだろうなと想像できる感じでした。
このように、写真を撮ったりしていましたら、七福神めぐりをしていた健脚の小学生たちがやってきました。
最初のほうで出会ったのですが、その後はまったく出会わなかったので、私達が七福神以外のお寺や神社に行っている間に全部巡ったのかなと思っていたら、なんと最後の最後に出会いました。
たしか、最初の聞修院を出たところくらいで出会ったと思いましたから、スタート地点とラスト地点で出会ったわけです。
それにしても元気な小学生たちで、ちょうど私達が御朱印をいただこうと思っている時に、集団での御朱印(しかし、色紙に印を押してもらうだけの形式)につかまりました。
それにしても元気すぎるわ。嵐が通り過ぎたとお寺の人と話をしたくらいです。
立派なのは、私達と違って、車を使ったりしないで、遍路さんのように全部を自分たちで歩いたことです。
これは、えらい!
私なんかは、他にも立ち寄りたい場所があったからと、車を使いました(途中、車を止めておいて神社やお寺に徒歩で行きましたが)。
しかし、悩ましいのが、時間との戦いなのですよね。
御朱印はいただきたいし、お寺の開いている時間(冬の頃は、4時とか、4時半頃までがほとんど)に、全部を回ろうとするとどうしてもショートカットしたくなります。
小学生には、スタンプラリー的な意味があったとしてもいいのではないかな(御朱印ブームはスタンプラリーだと揶揄されます)。
これをきっかけにお寺に親しむ意味がありますからね。
それでなくても、少子高齢化でお寺や神社に行く人も減ります。人口が減るのだから、確実に減ります。
それをいかにして、神社やお寺に参拝する人が次世代へと続いていくかということも重要ですものね。
それにしても、おみくじをやりたがる小学生が多かったなぁ。
青梅の七福神めぐりはここまです。他の七福神めぐりと違って、神社が含まれるとかなく、寺院巡りとなるような七福神めぐりでした。それも禅寺が多かったですね。
長文かつ、写真多めのブログになりましたが、記録の意味もあるということで、ご容赦ください。