御朱印にも金色で「たけくらべ」の文字あり


飛不動尊に行った帰りに立ち寄ってみたのが、この千束稲荷神社です。

近くには樋口一葉がかつて住んでいたという住居跡もありまして、竜泉町(龍泉寺村)に住んでいた頃に書いたと言われる『たけくらべ』ゆかりの神社のようでした。

樋口一葉の『たけくらべ』はこの千束稲荷神社の祭礼が舞台の一つになっているから、ということでした。

 

ただ、私が行った時は参拝客が誰も来ていなかったです。ひっそりとした神社でした。

 

しかし、神社としては、お神輿もあるようなので、地元の人に親しまれている神社なのだろうなと思われました。

 

お稲荷様なので初午祭がありますが、二の午の日に。地口行燈もあり

稲荷神社は、初午祭にお稲荷さんをお供えしますよね。

稲荷神社を調べてみますと、初午祭はけっこういろいろとバラけた日に行われている印象です。旧暦でやったり、新暦でやったり。
だから、その神社ごとに調べてみることをおすすめします。

 

その初午祭ですが、千束稲荷神社の場合、二の午の日に行われるそうです。

 

千束稲荷神社のサイトには以下のように書かれていました。初午祭と祈年祭を行うようです。

初午祭と祈年祭は今年の五穀豊穣・家内安全・商売繁昌を願って行われる神事です。境内には氏子崇敬者の皆様よりご奉納された地口行燈(じぐちあんどん)が飾られ子どもたちにはお菓子が配られます。

 

地口とはいわゆる駄洒落のことで、地口行燈とは行燈に駄洒落を絵と文句で描いた、要するに一コマ漫画です。かつては江戸中どこの稲荷神社でも見られましたが、今では地口絵を描く職人が少なくなり、この光景もほとんど見られなくなりました。

 

ここでは江戸時代からの地口行燈が見られる場所なのですね。

行燈に絵を書いて地面に置いてあるのは、見たことがあります。たしか浅草寺だったかな。

それだけではなく、ダジャレと絵を書いてある行燈なのですね。それは珍しいわ。

それにしても、このようなものはダジャレですから、説明してはいけないのでしょうけど、説明がないと笑えない、というかわからないですね。

「種まき助六」は揚巻助六のもじりだそうですが、助六の恋人の揚巻がわからないとこれまたトンチンカンになりそうだわ。

でも、なかなか見ることができないモノ、風習ですから、機会があったら見てみたいです。

 

二の午の日とのことですが、新暦なのか、旧暦なのか?今年でいえば、2月19日なのか、それとも4月8日なのか、わからないですね。きっと地元の人には、わかっていることなのでしょう。

 

鳥居には、お正月らしい笹や飾りがついています。

 

 

境内に入ってみますと、中にもこのような飾りがありました。年末年始といいますか、除夜の鐘の頃には、地元の人が集まってきているだろうなと思いました。午前零時には、若水授与もやっているそうです。

 

おそらくきっと年末には大祓式があって、ここに茅の輪くぐりができるようになっているのだと思います。地元の人が来ているだろうなと想像がつきます。

 

 

松と笹の木を結んでいる藁の結び方が独特ですね。こうやって結ぶのか。

 

稲荷神社なので商売繁盛を祈願

 

ちょっと見たところ、お寺のような風情もある稲荷神社でした。

拝殿脇には、お神輿を入れる庫もあります。三年に一度、本祭(神幸祭)の年にお神輿が出て来るようです。

 

参拝が済んだら、御朱印もいただきました。達筆な文字で書いていただいた御朱印で、500円でした。初詣の金印も押していただきました。

 

境内には樋口一葉の像もあります。たけくらべとのご縁がある神社として昔から地元の人に愛されてきたのでしょう。

 

【地口行灯の追記】

地口行灯を見に初午の祭りに行ってきた(二の午)

以前の記事でも書いたのですが、地口行灯を見てみたいなという思いがあったものの、遠い神社だったためになかなか行く機会がありませんでした。

ちょうどこちらの方面に行く機会があったので、行ってみましたよ。

行灯ですから、薄暗くなってから参拝することをおすすめします。

 

私はまわりがほの暗くなりかけの時に行きました。

前回は、お正月の頃で「初詣」と書かれていましたが、二の午の頃になりますと、さすがに春めいています。

紅梅がきれいですね。

行灯と一緒に写真を撮りますと、見栄えがします。

拝殿向かって左側は、松です。こちらも行灯の灯りがきれいです。

すぐそばには、お祭りのお神輿もみえますね。お正月に行った時は、しまっていたので、気づかなかったし、わかりませんでした。

古くからこの地にあった神社ならでは、です。

それにしても、江戸時代はいたるところの稲荷神社で、地口行灯が見られたそうですが今では、都内の稲荷神社でやっているのは、こちらの千束稲荷神社くらいではないでしょうか。

地口行灯の地口とは、ダジャレなのですが、なんとも見ていて面白かったです。

 

千束稲荷神社に到着したばかりの頃はまだほの暗くなっていなかったのですが、風が強くて雲の多い日だったので、いつもよりは早めに暗くなっていったかな。

鳥居の裏にかかげられた行灯も色合いがきれいですね。

 

鳥居のほうからみると大きな行灯と地口行灯で壮観

風が強かったことと、天候がいまいちだったこともあって、時折、見に来る人はいるのですが、しばらく経つとこのように人がいない場面も写真に撮ることができました。

日によっては、こんなシャッターチャンスないだろうなと思う次第です。

鳥居の下の行灯の光が幻想的です。

江戸時代になったような気分です。

 

ダジャレがくすっとなる地口行灯

たとえば、この「子犬の太刀のぼり」出世を祈る鯉の滝登りのことでしょうね。

絵柄も江戸時代っぽさがあります。

「目から出た足袋」ですって。「目から出たサビ」ではないのがいいわー

絵の後ろに波打って赤や紫色がありますが、これぞ手作りのしるしです。

職人さんによって違いがあるのです。

 

「あとの号外、先に立たず」ですよ。号外配っているし。

「後悔、先に立たず」よりもいいかも。

 

「ほうずきのこうべにカニやどる」ですよ。

ほうずきだし、カニが出てくるし。

「正直の頭(こうべ)に神やどる」とは、似ても似つかないものになっています。

それにしても、絵がいいと思いませんか?

 

神社の拝殿前にも書いてあるのですが、神社は信仰の話でもあるとともに、娯楽の場でもあったということ。

これ、重要ですよね。

しかめっ面して、神社の神聖さをいうことが多いですが、娯楽の面も見逃せません。

昔は、宝くじのようなもの、富くじとか神社で売っていたと聞きました。

地口行灯は、「神様に明かりを献じるという信仰的側面に娯楽の要素を加味したものです」

ここに書かれているように、地口の謎を解きながら、私も楽しいひとときを過ごさせていただきました。

それにしても、元ネタがわからなかったものもありました。

もっと暗くなってからのほうが雰囲気でるかと思いますが、ぜひ、絵も見てください。

「狸へかえす観音経」は、落語の「魂かえす、反魂香」から来ているそうです。

「玉から子供が泣いて出た」は、何だろう。「山から小僧が泣いてきた」の歌かな?

元ネタも書かれた場所があったのですが、今となっては忘れてしまって。

「先生八円、ためため」は、まったくわからなかったです。

何が元ネタだろう?

絵がらは面白いですけどね。

林家三平さんの行灯や、村井美樹さんの行灯もありました。

もちろん、ダジャレ付きで。

 

 

神社の境内の樋口一葉の像の隣に、このように地口行灯の説明と、今年の元ネタが書いてありますので、わからないなぁと思ってもご安心を。

 

 

なにより江戸時代の風流な遊びを体験できて、さらに絵も楽しめるという楽しさがあります。

夜の神社は、なかなか行く機会がないので、それもまたいいですねぇ。

写真を撮りたい人は、もっと暗くなってからいったほうが幻想的な絵がらが撮れますよ。

ただ、初午祭とはいうけれど、他の神社のような初午の日にお祭りをする、というのではなく、二の午の日だということに気をつけてください。

この日は、夜でも神社に入れます。2月に入ったら、千束稲荷神社のサイトで確認してから行ってみてください。

 

その後に飯能の商店街でも地口行灯を見つけました。

ダジャレですね。