またもやずっと前に参拝に行っていた話が続きます。

今回は新橋にある烏森神社です。

カラフルな御朱印で有名なので、知っている人、一度は参拝に行った人、多いかと思います。

都内にいる人だけでなく場所が新橋なので、地方から来た人もついでに立ち寄ってから地元に帰るということもあるでしょう。

 


鈴祓いを節分にやっている烏森神社

私は、烏森神社の表参道というよりは、脇の飲み屋さん街のほうから行きました。

新橋という場所ですので、神社の境内は広いとは言えませんが、参道を入れて考えると敷地はそこそこあるように感じました。

新橋からのアクセスがいいからか、参拝に訪れる人は絶えることなかったです。

次から次へと来ていました。

私が行ったのが1月の節分前だったので、節分には「鈴祓い」をやってくれるということが書いてありました。



1月の下旬ということがわかるのは、この提灯かもしれませんね。

提灯に節分と書いてあります。

それよりも私が驚いたのは、天井の印、巴紋です。神紋というのでしょうか。神社だから社紋かな。

それとは別に前にたれている布には、稲をくわえた烏が森を飛んでいる神社紋があります。

 



別の角度からもどうぞ。三つ巴です。左三つ巴ですね。赤いのですが、これが水色なら波のように見えることでしょう。

布に描かれた神社紋の烏と森もよく見えます。



近代的なビルの中にあるなぁと思っていましたが、木のぬくもりは残されている印象です。

御弊も木に描かれています。


令和2年の1月時点では御朱印の授与時間は9時から5時

写真を見て気が付きました。1月20日に行っていたようです。

節分までは、節分祭の特別御朱印となっていました。

御朱印の授与時間は、9時から5時と書かれていましたが、今はどうなっているのか。

最新情報は公式サイトで確認したほうがいいでしょうね。

直前の確認が肝心かと。


心願色みくじが人気なのは、御朱印と一緒に買うと「透かし印」の入った御朱印になるから、という理由もあるでしょう。

 

私も心願色みくじが500円、御朱印が500円で、合計千円を払って、透かし印入りの御朱印をいただくことにしました。

御朱印には、四色の社紋が入っています。

それと、社紋のシールもついていました。

社紋とかわいい烏の神主さんです。



写真の撮り方が難しいのですが、「透かし印」がわかるでしょうか。

私はいただいた時に、うす茶色になっているのかと思って、社務所の人に聞いてしまいました。

あくまでも透かし印なので、色ではなく、透かしだということです。

烏の神主さんの透かし印がわかりますか?


心願色みくじが人気

烏森神社の特大御守が目につきますねぇ。特大(2色)となっています。

8,000円ですか。

いつの日か買えるようになりたいものです。

特大御守の左隣りには、社紋護符が掛かっていました。神社紋というより社紋なのですね。

 

その巨大御守の右隣に、心願色みくじという色別のおみくじの説明があります。

この心願色みくじが人気です。

 

なぜなら、烏森神社には、「大吉」のみならず、「超大吉」があるからです。

これが出たらなら、あなたは相当なラッキー運の持ち主です。

それなのに、さらにラッキーなことに、

「超大吉御守とその強運をみんなにお分けする福分けセット」がいただけるのです。

ちなみに色によって運に違いがあります。

赤は、恋愛、良縁、縁むすびです。

黄色は、金運、幸福、商売繁盛です。

緑は、健康、家庭、交通と旅行安全、さらには、子授け、安産、病気封じまでと広いです。

緑に「病気封じ」とあるからでしょうか。一部に「がん封じ」にいいといわれているそうです。

 

青は、厄払い、仕事、学業、技芸上達です。

500円というおみくじにしては高い金額ですが、おみくじと願い札、願い玉が授与されます。

私は商売繁盛を願って「黄色」にしました。おみくじを引く前に色をいいますよ。

 


幸運鈴守りも

真ん中の段に、幸運の鈴守りが並べてあります。

シャンシャンシャンといい音色なのです。

下のほうには、朱印護符というものもありました。

上のほうには、「東京福めぐり」の折帖がありました。烏森神社と書かれています。



さて心願色みくじです。

狛犬のところにも旗があるくらい、このおみくじを引く人が多いのでしょうね。

色で叶える願掛けみくじです。

 


心願色みくじの願い札書き処

心願色みくじには、願い札がついていますので、その願いを書くための小部屋がありました。

それと願い札書き処の前には鈴祓いの短冊が掲げてありました。短冊の絵をみたら、鈴祓いはどんなものかイメージがつくかと思います。

巫女さんが鈴でお祓いをします。



部屋には、烏が稲をくわえて森を飛ぶ大きな社紋がかけてありました。なかなかきれいですね。

願い札は座って落ち着いて書くことができます。

ここの他にも小部屋があって、狭い敷地をうまく活用していました。

当然ながら、ここでは飲食は禁止です。でも書いておかないと食べる場所にしてしまう人がいるのかな。

 



部屋には、御守の数々が掲示されていました。

先ほどの幸運の鈴守りもありました。1,200円となっていました。

願い札の掲げ方など説明がありました。

色別の札になっていることがわかります。

赤の恋愛、良縁、縁むすびの札は、地が赤になるからか社紋が黒になっていました。

願い札には、お願い事を札と同じ色のサインペンで書きます。それと自分の名前ですね。



これがおみくじと願い札、願い玉です。黄色なので、金運、開運、商売繁盛です。おみくじと願い玉は持ち帰ります。

おみくじを結びつけたくなりますが、願い札を結び処に結び、神社に残します。

結び処は、拝殿に向かって右奥の1階にあります。階段を降りたところです。

私は残念ながら「超大吉」ではなく、中吉でした。

願い玉は、ぶら下げることができるようになっていました。


ここにも緑のところに、「病気封じ」の文字がみえますね。

色を先に決めること、色を告げてからおみくじを引きます。

願い札に同じ色のペンで願いごとと自分の名前を書きます。

おみくじは願い事を叶えるための参考にするように、持ち帰ります。

願い玉も同様に持ち帰ります。

願い札は、その後祈祷してくれるそうですよ。


願い札の結び処は小さなスペース

こちらが「結び処」の部屋です。

書き処とは違って、願い札を掲げるための場所になっているので、狭い部屋です。

傘がかけられ、雰囲気がいいです。

 



私は、黄色の願い札なので、黄色の紐に結びつけます。

烏森神社の小さな提灯がかわいいですね。



実は、外にも心願願い札を掲げる場所はありました。

烏森神社に入ってすぐの狛犬の裏側です。

 


烏森神社の縁起は手水舎に

手水舎の場所を利用して、「烏森神社縁起」がありました。

御祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマのミコト)、天知女命(アメノウズメ)、瓊々杵尊(ニニギノミコト)です。

どちらにせちよ、御祭神は稲荷系ですね。

縁起というのか、御由緒としては、平安時代約1000年前に平将門が東国で叛乱を起こしたとき、征夷大将軍、藤原秀郷がここの烏森神社に戦勝を祈願した時とも、このとき勧請したとも、伝えられているそうです。

 

室町時代には、室町幕府の関東管領で古河公方と言われた足利成氏は、この烏森神社に戦勝を祈願して、その祈願状は今日も宝物として伝えられている。

江戸時代には、稲荷信仰により祭礼も2月初午の日に執行され、稲荷祭としてその賑わいは、江戸で有数だったそうです。

近代建築美の中に、神社本来の伝統を加味して造られて、昭和46年12月に氏子の熱意により竣工をみたものであるということが書いてあります。


狛犬の前に「きやり塚」

拝殿向かって左側の階段下には、きやり塚がありました。写真では左端になって分かりづらいですが。

きやり、木遣とは、木遣歌のことで、お祭りで山車を引く時に歌う歌のことです。

ここ烏森神社でも2年に1回、5月5日の例大祭のお祭りがあって、毎年ではないのですが、新橋駅前からお神輿が出るそうです。

お神輿については、四面ある屋根のそれぞれに切妻屋根となっている八棟造りの珍しいお神輿だそうで、これほど大きなものはないということです。

「昭和5年11月、名匠と謳われた神田田代町の神輿師だし鉄、こと、山本正太郎作、八棟型の大神輿、通称千貫神輿、蕨手に烏を起き、だし鉄の最高傑作と言われています」とのこと。

ということで、毎年ではないのですが、お神輿が出るそうです。

江戸時代は初午の時が御祭りだったそうなのですが、明治以降に端午の節句の頃に変わったということです。

稲荷神社なのに、とおもったら、そういうわけがあったのですね。


 


もう一度、烏森神社の授与品の数々です。

烏森神社はこのように、飾り付けもきれいになっています。



神社の参道脇に喫煙スペースのようなところがあって、そこに大きな御朱印の説明ポスターとともに、招福鈴祓いのことが書いてありました。アメノウズメノミコトの招福鈴祓いです。天知女命(アメノウズメ)が御祭神ですからね。

これを見ると、2月1日、2日、3日に行われたようです。

 



先ほどから何度も書いている「参道」はこちらです。節分祭と書いてある旗も見えます。

 

行きは、脇から入ってしまったのですが、帰りは参道をゆっくり歩いてみました。

飲み屋さん街の新橋の一角にこのような参道があるのです。

それにしても細いながらもしっかり参道は確保していたのですね。