大晦日と年明けの初寅の日に神楽坂の善国寺へ行って小判と七福神の人形を購入

毘沙門天をお祀りしている神楽坂の善国寺(鎮護山善國寺)に行ってきました。それも大晦日と年明けて、初寅の日にもです。

 

初寅の日は、まだ七福神めぐりをやっている人も多く、かなり賑やかでしたよ。

それでもこちら、善国寺は大晦日も訪れる人も多くて、神楽坂に行ったら立ち寄るスポットになっているのかもしれません。

本堂に、開創以来伝わる毘沙門天像がありまして、正面の階段脇にある寅の石像とともに、新宿区指定文化財になっています。

なんせ文禄4年(1595年)の創立からお祀りされている毘沙門天像なのです。

 

善国寺は毘沙門天をお祀りしていまして、金運アップに寅の日に毘沙門天に行くといいと言われています。

なぜなら、毘沙門天が生まれたのが寅年、寅の月、寅の日、寅の刻だからですし、毘沙門天のお使いがトラだからです。

 

ですから、善国寺に行きますと、絵馬には寅の絵、狛犬ではなく、寅なのです。トラ・トラ・トラ

 

昔の話にも毘沙門天に助けられたのが寅年、寅の月、寅の日、寅の刻と出てきたりと伝説では毘沙門天と寅は切っても切れないのです。

 

そもそも、毘沙門天は厄除け開運の神様と言われています。

強そうなイメージからでしょうか。勝負運、商売繁昌にもいいそうです。七福神めぐりの時にいただいたパンフレットには、

「毘沙門天王経」の中に、自分を信仰すれば、福徳、知恵、美貌、力、能弁など、十種の利益があるといわれています。毘沙門とは多聞と訳し、多くの人々の願いを聞いて叶えさせるといいます。

また、天の四方を守護する四天王の随一に数えられ、インド神話では福の神としての性格がよく表明されています。

と、書かれていました。

 

さて、毘沙門天のお使いである寅ですが、最近は、お財布を買うのに、寅の日を選ぶとか、お財布の使い始める日が寅の日とか言われていますが、寅の日が金運アップにいいからです。

 

寅は1日で千里を往って千里を復るといわれています。行動力のすごさを言うのですが、お金も使ってもすぐに戻ってくるという意味にもなります。

 

また、寅の黄色が金運アップの黄色と同じであることからも寅と金運アップがセットで言われるようになったのですね。

 

金運アップを祈願するなら毘沙門天へ寅の日に

 

本堂向かって左手には、浄行菩薩も

 

初寅の日に行った日は、ムカデ小判と毘沙門天像が目当てだったのですが、そのまま七福神めぐりをしました(ムカデも寅と同じく毘沙門天のお使い)。

寅の日に御開帳の毘沙門天像は、東京都新宿区の指定文化財ですし、何より、その日を逃すと見ることができないですし、百足のひめ小判お守りも、寅の日しか頒布していないそうです。

 

縁起物である「ムカデのひめ小判守り」がほしい人は念の為、前もって善国寺のサイトを確認しておくといいですよ。

 

2019年お正月は、5日と17日の9時から17時頃と、書いてありました。

ムカデって、ぎょっとするのですが、「百の足で福をかきこむ」と言われると、縁起の良いものに思えてきますから不思議です。

百年ぶりに復刻の縁起物「ムカデひめ小判守り」です。

初寅の日にいただきました。「開運・招福のご利益」だそうで縁起良さそうです。

 

ちなみに、御開帳の日は、正五九参りに合わせているのか、お正月、五月、9月の寅の日になっています。寅の日の9時から17時までです。普段は暖簾がかかっているので、見ることができません。

 

御開帳の日であっても、場所がかなり遠いので、小さめの望遠鏡が置いてあるので、そこから拝見させていただくことになります。

 

善国寺の御朱印はいつもは本堂脇でしたが、七福神めぐりの7日までは本堂で

七福神めぐりの人たちの列がありますので、お正月は大晦日の時よりも列が長かったです。

 

ちなみに私は、飯田橋から善国寺スタートで、最後は新宿三丁目駅を使いました。

写真を撮りながら、御朱印をいただきながらだったので、3時間ほどかかりまして、1万歩以上は歩いたと思います。

 

固まってある場所もあるのですが、毘沙門天から大黒天様までも距離がありましたし、全部めぐると約6.5キロメートルあるそうです。

 

絵馬ならぬ、絵寅ですか。狛犬ならぬ、コマ寅の像もみえます。

 

毘沙門天のことをいろいろと調べてみますと、商売繁盛だとか、財運だとか、金運だとか、もっと注目されてもいいような気がしました。

見る人がみたら、パワースポットではないかとおもうのですよね。

七福神めぐりで、ミニ尊体を購入したとき、毘沙門天にはこのように書かれていました。

当山は今から約四百年前にあたらい桃山時代の末、文禄四(1595)年日本橋馬喰町に創建された。初代住職日惺聖人は小田原より江戸へ居を移した徳川家康公のために、持仏の毘沙門天像を前に天下安全の祈願を行なった。これを伝え聞いた家康公は、鎮護国家の意をこめて自ら鎮護山と命名した。これが毘沙門天善国寺の起源である。寺はその後麹町を経てほぼ二百年前に当地へ移転して来た。毘沙門さまはインド出身の神様で、仏さまを常にお守りしている。また四天王の随一として北方を守護され、七福神のお一人として開運、やくよけの御利益を日々授けて下さっている。

開運、厄除けには、毘沙門天ですね。

 

浄行菩薩と出世稲荷

こちらは、本堂向かっての左手にある浄行菩薩です。

水が垢や穢れを除いて一切を洗い清めるがごとく、我々の煩悩の汚垢を除いてくれるそうです。

 

昔から、身体の悪いところ、病気や怪我などで痛むところと同じ場所を、浄行菩薩さまのお体を磨くことで治していただけるという浄行菩薩さまです。そういえば巣鴨地蔵でも同じように洗ったことがあります。日蓮宗ですから「南無妙法蓮華経」と唱えながら磨くことになっています。

 

 

こちらは、出世稲荷です。稲荷社ですね。お寺さんであってもお稲荷さんはあるのです。神仏習合でしたからね。

 

お稲荷さんですから、午の日にも何かお祭りがあると思うのですが、境内に詳しいことが書いてありません。

しかし、紅いのぼり旗が奉納されていることといい、知る人ぞ知るなのでしょうね。

私自身、善国寺には今まで、4回は参拝しているのに、今回、はじめて気づいたという。。。

 

地元の人なら詳しいことがわかるのかもしれません。それにしても「出世稲荷」というのが鎌倉の佐助稲荷神社のような感じがしました。

 

こちらも人気がでそうに感じます。

さて、百足ひめ小判守りという、縁起物をいただいて、さらに、七福神のミニご尊体を集めまして、新宿山の手七福神めぐりをスタートしました。毘沙門天からスタートです。