「しあわせさん、こんぴらさん」の黄色い看板が目汁となるのが、東京都にもある金刀比羅神社です。

社碑にも、「讃岐」の文字が見えますね。

西に黄色のものを置くといいますが、金運にも良さそうな黄色が目立ちます。これは遠くからでも目立ちますからね。

ここ、水道橋のこんぴらさんが香川県のあの、金刀比羅宮の東京分社となります。

いわば東京支店のようなものです。

だから、香川県にいかなくても、東京の水道橋まで出てくれば「幸福の黄色いお守り」もそこで注文して送ってもらうこともできるのですよ。

私も父親が四国出身なので、香川県のこんぴらさんには、参拝したことがありますが(私が行った当時はなかったように思うのですが)、黄色で目立つ、あのしあわせさん、幸福のお守りも手に入るのです。

ということで、今回は香川県ではなく、東京にあるこんぴらさん、金刀比羅宮についてです。

後ほど送られてきた黄色のお守りの写真も載せてありますよ。

 


水道橋のこんぴらさんで幸福の黄色いお守りを送付してもらう


私は、虎ノ門にある金毘羅神社が、香川県の東京分社と思っていたのですが、こちら水道橋のほうだったのですね。

そもそも金刀毘羅神社は、「こんぴら」の漢字もいろいろ書き方があるように、いろんな場所にあるそうです。

琴平にあるから、琴平と書いて「こんぴら」と読む場合もあるそうです。本来は、「ことひら」ですよね。

金毘羅だったり、金刀毘羅だったり、金比羅だったり、金比良とも、事比羅とも書く場合もあります。

金毘羅船々の歌でも「金毘羅大権現」と言われていますが、四国の琴平では、琴平神社が金毘羅大権現となって、金刀毘羅となったということですから、どの漢字も正解なのでしょう。

私は、四国の香川県にある金刀毘羅宮に行ったのが、金刀毘羅参りの最初だったので、どうしても香川県の系列の金刀毘羅宮に思い入れがあります。


言われてみれば、わかったのですが、「金」の字の下の方に「土」のようなものが漢字についているのが香川県系列のこんぴらさんのようです。

虎ノ門の金刀毘羅宮は、「金」の文字だけだったと思います。

 

以前は、神田和泉町にあった境外神社としてあったのが深川に移して、「深川のこんぴらさん」とよばれて親しまれていたのですが、戦争で被災して、高松藩の邸内にあったものと一緒にして、「水道橋のこんぴらさん」になったそうです。

そういえば、虎ノ門のほうの金刀毘羅宮は、港区芝の金毘羅大権現で芝のこんぴらさん(三田)だったのが、虎ノ門に移ったといわれていましたから、兄弟のようなものでしょう。

 

 

ですので、水道橋のこんぴらさんは、こじんまりとした神社で、それほど広い敷地、境内ではありません。

お庭と言われば納得してしまうようなコンパクトなつくりです。

 

それにしても、拝殿の横に貼ってある看板のようなものも、けっこう目立つ「黄色」ですね。

このような目立つ黄色のお守り(幸せさんのお守り)が欲しい人、それも香川県まで行くことがかなわない人は、こちらの水道橋のこんぴらさん(金刀毘羅宮東京分社)に行くことになります。

もちろん、香川県の琴平にある「こんぴらさん」のほうが「幸福の黄色いお守り」だけでなく、種類も豊富ですから、行く機会がある人はぜひとも、琴平のほうへどうぞ。

 

水道橋の金刀毘羅宮には黄色のお守りの受付用紙のみあり

東京分社では社務所にて「幸福の黄色いお守り」の受付を行っています。「幸福の黄色いお守り」は、お守り自体が800円です。

それに、送料が1体120円となって、2体、3体が140円と書かれていましたが、今は消費税も上がって送料が違うでしょう。

トータルで1体、1,000円くらいと思っていればいいかと。

 

受付用紙が東京分社にありまして、東京分社では用紙に書くだけです。

住所氏名を書いて送ってもらいます。

お金は、振り込み用紙がお守りとともに送られてきますので、送られてきてから支払います。後払い、ということです。後払いでも支払わない人はいないのでしょうね。それでは罰当たりですからね。

 

ですから、東京分社に行っても「幸福の黄色いお守り」はすぐには入手できません。

あくまでも香川県の本宮のほうから送られてきます。

そこはきっちりしているのですね。東京分社でも売ろうと思えば売れるのですが、やはり香川県のあの場所から来たのだなと思うと御利益が違うような気がしています。

黄色のお守り以外は、売っているのですけどね。

香川県のほうの金毘羅宮は、10月10日が例大祭ですが、水道橋のこんぴらさんは、例祭日5月19・20日とのこと。

1月10日の初こんぴら、初十日祭は同じです。

 

水道橋のこんぴらさんの隣は水道橋稲荷神社

水道橋稲荷大明神の旗がはためいていました。

近所の商店街の人も参拝に訪れる場所なのでしょう。

金刀毘羅宮東京分社も、こちらの水道橋稲荷神社も、こじんまりとした、さほど大きくない神社、境内ですが、とてもきれいになっていて、ゴミひとつなく清掃がされていました。

東京都内の人通りの多いところにある神社でも清潔になっていない神社もありますから、きちんと管理がなされていることがわかります。

 

余談ですが、地方の神社では廃れてしまってオンボロになった神社も増えて来ていると聞きます。多くの参拝者が来ているのなら、まだしも、汚くなってしまうと、ますます人も寄りつかない神社になってしまいますよね。人口減少時代は、神社の数も減っていくのでしょう。

 

 

砂利道をみていただくと管理がよくされていることがわかります。

こんぴらさんも「金運」に良さそうな場所ですが、稲荷神社も一緒におまいりすれば、商売繁盛になりますね。

 

幸福の黄色いお守りが送られてきた

 

一週間ほどして送られてきた「幸福の黄色いお守り」です。

若い頃に琴平のこんぴらさんに登った時は、世間で言われるほど、登るのキツイかなと思っていましたが、年齢を、重ねると登ること自体がハードルです。

それを関東まで送っていただいけるのはいいですね。

ただし、あの可愛いこんぴら狗はついていません。

代わりに参拝してくれるというあの狗です。

ミニなので、お守りと一緒につけられるというあのこんぴら狗。

でも、東京、水道橋で受付するだけで、お守りを買うことできるのでから、贅沢言えません。

この黄色いお守りですが、私が以前(かなり昔)にこんぴら参りした時はなかったように思ったのですが、平成10年から授与開始だったのですね。

 

平安時代から魔除けや厄除けとして重宝されたウコンで絹糸を染め、織り上げた鮮やかな黄色い布が使われている。肌守りとして、平成10年10月1日から同神社で授与が始まった。

かなり派手ちっくな黄色です。

お守りが入っている袋もかなり派手ちっくな黄色です。

私は五行で「土」が足りない人なので、これくらい「黄色」があると補っていいでしょう。

中に入っていた説明書には「健康と幸せを祈る鬱金色の肌守り」と書いてありました。

黄色というより「鬱金色」だそうです。

「黄色はあふれんばかりの恵みと愛をもたらしてくれる色」と書いてありました。

「稲や麦のみのりの色。豊穣の色。エネルギーにあふれた力強さで満足を約束してくれる色」です。

 

鬱金の黄色は、平安の頃から染料として使われていたとのこと。

最近は、「ウコン」としてサプリメントや二日酔い対策として知る人も多いです。

このお守りもその鬱金をつかって、絹糸を染めてあります。染め上がった糸で作った布で、肌守りを作ったという「金運」よりも、「健康運」をアップしてくれそうな話です。

昔は、鬱金は「魔除け」や「災い除け」に使われていたのですから、これぞお守り、です。

鬱金には、「虫除け」の効果もあるそうで、絵画などの美術品を包む風呂敷や袋に仕立てられていたという「豆知識」もお守りが入っていた袋の中にありますので、ぜひ、読みましょう。

鬱金なんて、漢方薬とか、サプリメントでしか知りませんでしたよ。

さて、金刀毘羅宮(東京)と隣の水道橋稲荷神社だけで帰るのはもったいない気がして、水道橋から本郷のほうに向かって散歩してみることにしました。

最初に行ったのは、「三河稲荷神社」です。

三河稲荷神社では御朱印もらえなかった

水道橋稲荷神社と同じく、稲荷神社があったので、行ってみました。

そこでは運がよければ、御朱印がいただけるとのことだったのですが、残念ながら隣の社務所には人の気配がなかったです。

平成19年には、三河稲荷神社の四百年祭が行われたようで、その記念ののれんが掲げられていました。千社札もありますね。

400年ですか。歴史ある神社だったのですね。小さな神社だったので由緒正しき神社だとはつゆ知らず。

徳川家康公にも縁がある神社だと聞きまして(だから「三河」?)、散歩してみるとこういう神社にも巡り会えるのだなと感じました。戦勝祈願の徳川家康自身のための神社だったとか。江戸時代の稲荷信仰の元となったといわれるくらいの神社なのです。

 

本当に住宅地の中にあるのですよ。

こちらの神社は、通称が「三九様」なのだそうで、三日と九日に縁日があったということです。

 




神社の裏手にもまわってみました。

やはり歴史を感じる木造のつくりです。

本当にこじんまりとした小さな神社なのですが、絵馬を掲げる場所もあります。

それにしても狛犬さんの目が赤く、血走っているかのようにみえます。

ちなみに、社務所ですが境内の中にはなくて、いったん外に出まして、神社の本殿に向かって左側のビルの中にあります。

ただし、私が行ったときは不在でした。人の気配もなかったです。

 



本郷三丁目駅付近を散歩して本郷薬師

東京大学の近く、本郷三丁目駅のほうに向かって歩いて行きました。

こちらは、「本郷薬師」様です。山門はかなり立派です。ちょうちんもありますし。

ただし、本郷薬師は道の中にあるといった感じなのです。

30m先には、十一面観音菩薩もありとの立て札がありましたので、ついでに行ってみることにしました。

道路の途中にあるような感じの本郷薬師でしたが、ここらへんはお寺の境内だったそうです。

おそらく始めて行く人は、みなさん、道の途中にぽつんと建っているなと思うはずです。

十一面観音菩薩も小道の中にぽつんとあるという感じで、本来なら大きなお寺の境内の中なのになぜかまわりが開発されたような印象です。

私の写真では、道の途中にあるという唐突感が出せていませんが、実際行ってみると、突然ここに?という場所にあります。

書いてあるとおりに十一面観音菩薩のところへ行ってみました。

裏手には、お墓があります。

こんなところに、と思うくらいまわりは住宅です。

 

ここには、元々「真光寺」というお寺があったそうなのですが、戦火で世田谷区に移転したとのこと。

以前は、薬師様のご縁日も盛大だったようです。「本郷夜店」として知られていたとか。

神楽坂の善国寺の毘沙門天の縁日と並ぶくらいだったということで、あちらは、今でもお寺の境内が残っているのに、こちらの本郷薬師は、戦火が無ければきっと参拝に訪れる人も多いと思います。

文京区教育委員会の立て札がなかったら、どんなお寺があったのか知る由もない。